七編(2)

 人民も政府も、おのおのの分を尽くして、たがいに共存しているときはいいでしょう。ですが政府が分をはみでて暴政を振るうようになった時はどうでしょうか。この場合、人民の分としてすべきことは、三種類あります。

 節を曲げて政府に従うこと。力でもって政府と戦うこと。道理をまもって身を捨てること。このみっつです。

 第一。

 節を曲げて政府に従うというのは、一番やってはいけない方法です。人というものは、天がさだめた道に従うことを分とします。

 節を折って政府手づくりの悪法を聞くのは、人の分をおとしめるものです。それだけではありません。いちど節を曲げて、正しくない法律に従うと、のちのちの人に悪例をのこすことになります。そういうことを繰り返していくことで、世間に悪風がまかり通るようになるのです。

 むかし日本でも、愚民の上から暴政を叩きつける政府がありました。政府が威張り散らすので、そのたびに人民はおそれおののきました。無理難題をふっかけてきたりしても、恐怖のために正道をのべることはできません。政府の怒りを買うようなことがあれば、あとあとになって卑怯な方法で役人に苦しめられることを恐れるからです。

 そうやって心は縮こまり、言うべき言葉も吐くことができない者ばかりになっていきます。

 役人たちのあとあとの卑怯な方法とは、いわゆる犬の糞でかたき、ということわざであらわせます。犬の糞でかたきを討つ、とは卑劣な手段で仕返しをすることです。

 こうして人民はたかが犬の糞をこわがって、どんな無理をおしつけられても、従うようになっていきました。そして、ついにあのいまいましい気風を作り上げてしまったのです。

 今の浅ましい状況のことです。人民が節を屈したら、どのように災いが後世にのこるか、良い例といえましょう。

 第二。

 力で政府と戦うことは、ひとりの体力でできることではありません。かならず徒党を組まなくてはなりません。これはもはや内乱というものです。これを上策とはいえません。

 内乱をおこして政府に銃をむけるときなのだから、相手と議論をしている暇はありません。ことの善悪をどこかにおいて、力の強弱だけをくらべなくてはならないのです。

 ですがこれまでの内乱の歴史をみてみると、いつも人民の力は政府よりも弱いのです。また、内乱を起こせば、いままでつちかってきた政治の基盤をこわすことになります。悪政府がたおれたのち、反乱をおこした集団が善政をしかないのであれば、ほんのわずかとも政府というかたちで生きることはかなわないでしょう。

 ですから政府をたおしたからといって、それは暴力で暴力をあらったにすぎません。愚をもって愚ととりかえたにすぎないのです。

 そもそも内乱はどうしておこるのでしょうか。不人情なひとを憎んでおきるものです。

 しかし内乱ほど人間世界のなかで不人情なものはありません。世間の友人関係をこわしてしまうのはもちろん、ことによっては親子でころしあうことにもなり、兄弟が敵となってへだてられることもあります。家は焼かれひとは死ぬのです。このときにおこなわれる悪事にはきりがありません。このようなおそろしいありさまのために、ひとの心は残忍におちいります。もはや獣とかわりありません。

 そのくせにもともと存在していた政府よりも良い政治をして、寛大な法律をととのえ、人の心が厚くなるように導こう、などというのでしょうか。けっして、良い考えかたとはいえません。

 第三。

 さいごに道理を守って身を捨てる、という方法があります。これは、天の道理をうたがわず、どんな暴政のなかにあって、どんなにひどい目にあわされても、苦痛を耐えて自分の意志をくずさず、わずかの武器も身におびず、腕の力もつかわず、あるべき筋道をとなえて政府にせまることです。

 これまでにあげたふたつの例のなかでは、この第三の方法を最上の策としてえらぶべきです。道理をかかげて政府のもとへいくなら、その国にある、よい部分は少しも揺れることはありません。よい部分とは、よい政治のやりかた、よい法律などです。

 政府にすすめた正論がつかわれなくても、心配することはありません。道理がたしかなことが明らかであれば、もともとそなえられている人間の正しい心は、この道理ある論理に服さないはずがありません。今年におこなわれることがなければ、あくる年にもういちどやってみましょう。

 力をつかって戦おうとするものは、一の利益を得ようとして百の被害をだす心配があります。ですがそれにくらべ、道理のままに政府にせまることは、ただのぞくべき百害をのぞくだけです。ほかに反作用が生まれることはありません。

 この第三の方法が達しようとしている目的は、政府のゆきとどかないところを指摘して、よいほうへ導くことです。そうするわけですから政府の処置もただしいものにもどり、不満にみちた議論もしぜんとやむことになるでしょう。

 逆に力をもって政府と戦おうとすればどうなるでしょう。政府は自分の敵をたおすために殺気立つのは当然です。これでは自分の悪い部分をかえりみるはずもありません。政府はますます威をもっておどしてくることでしょう。けっきょく、民衆がいやがっていた悪い部分がよりたかまることになります。

 ここに、しずかに道理をとなえる人がいるとしましょう。

 たとえ暴政府とはいっても、その中で働く役人は、もともと同じ国の人間です。正しい道を守り、命を投げうってでも果たそうとする姿をみて、かならず同情やあわれみの心が生まれます。あわれみの心が生まれたら、おのずと自分のまちがいを悔い、肩をおとして改心することでしょう。

 こういうふうに世のなかを心配して、世のために身を苦しい場所におとしめ、あるいは命を落とす者のことを、西洋の言葉でマルチルドム(martyrdom)といいます。そのときに失われるのは、たったひとりの命ですが、その成果は一千万人を殺す戦争など比較にはなりません。昔から日本では討ち死にしたり、切腹したりする人物は多く存在します。

 彼らはみな忠臣義士と呼ばれ、名も高いのですが、彼らがその命を捨てた理由はなんでしょう。

 ほとんど、自分の主人が政治をにぎるための争いのためです。あるいは主人の敵討ちで、華々しく散るものです。みた目はうつくしいですが、じっさいの世のなかにはなんの役にもたってはいません。自分の主人のためといったり、主人に申しわけないといって、なにか行動するために命を捨てよう、とかんがえるのは学問と文明のない世の常です。

 いま、ひらけた文明の名のもとにこれを論じましょう。

 これらの人々は命を捨てるべき状況をわかっていない者たち、と言えます。

 そもそも文明というものは、人の知徳を高め、おのおのの人が自分の暮らしを自分で立てることです。世間にかかわって生き、おたがいに害を与えることもなく、害をくわえられることもなく、ひとりひとりがもつ権利をみたして世のなかの安全と繁盛はんじょうを果たすことです。

 内乱にしても敵討ちにしても、はたしていまのべた文明の目的にかなうでしょうか。内乱に勝ちのこって敵をほろぼすと、世のなかの文明が高まるのでしょうか。敵討かたきうちをおえて主人の面目をたもてば、商売や工業がおこるのでしょうか。

 内乱も敵討ちも、世のなかの平和を作るようにおもわれますが、じっさいにはそうではないのです。

 このような理由から、忠臣義士のすることには期待できません。彼らはただ自分の主人をあがめているだけです。主人に申しわけがたたないといって命を捨てるひとを忠臣義士というのなら、いまの世間にもそういうひとはおおくあるといえます。

 ひとりの権助(召使)のことを例にあげます。

 権助はある日、主人のつかいにでましたが、そのときに一両のお金をおとしてしまいました。途方にくれたのち、主人に申しわけがたたないといって、木の枝にふんどしをかけて首をくくりました。

 こういう話は世の中では珍しい話ではありません。このような忠実な家来がみずから死をきめるときの心をおしはかると、あわれみでいっぱいになります。使いに出てそのままもどらず、死んでしまうのです。

 のちのものたちは、この権助の功が実をむすばなかったことに同情の涙を流すべきです。主人の頼みを受け、まかされた一両のお金を失い、臣下の分を果たすために死をもって責任をつぐなうということは、忠臣義士らに一歩も引けをとらない行動です。その忠誠の心は、死んだあとも人々によって磨かれ、その成果は永遠に語り継がれるべき話です。

 それなのに世の人々は薄情なものです。

 権助を馬鹿にして、石碑せきひをつくって名前をたたえるものはありません。宮殿をたてて祭るものもいません。

 それはなぜでしょう。

 ひとはみな口をそろえていうことでしょう。「権助はたかだか一両のために死んだ。彼の死はそのていどのもので、あがめるにたりない」と。

 そのとおりです。ですが、ものごとの軽重はお金のかかりぐあいや、人数のおおい、すくないでかたるべきではありません。その行動が、文明にあたえる影響によいか悪いかできめるべきです。

 忠臣義士が一万の兵をなぎ倒しながら死んでいくことも、権助が一両のために首に縄をむすぶのも、おなじことです。どちらも文明にとってはなんの利益もありません。義士も権助もどちらも命の捨てどころを知りません。

 この忠臣たちをマルチルドムなどといってはいけません。

 私の知る中では、人民の権利をとなえて、政府に堂々と向かった、ただ一人の人物がいます。

 佐倉宗五郎です。

 宗五郎は自分の藩主が暴政をおこなったとき、村民にかわって将軍にせまりました。これで多くの人々を救いましたが、自分は一家まとめて殺されてしまいました。

 ただ宗五郎のことについては、いまのところ、ただしい事跡を見ることがかなっていません。もしできるのならば、いつか宗五郎の徳を文に起こして、人々の手本になるようにしたいものです。

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