十一編(2)

 このやりかたは政府だけがやっているのではありません。店屋も、学校や塾にも、宮にも寺にも、おこなわれていない場所はありません。いま、その一例をあげましょう。

 店の主人がいるとします。主人は店のことにかんしてはいちばんの物知りです。元帳をあつかうのも店主です。その下に、番頭、手代てだいといます。番頭とは、店の万事をとりしきるひとのことです。手代というのは、おなじく使用人なのですが、小間づかいにつかわれる小僧という仕事よりはえらい、いわば番頭と小僧の中間の職業です。

 彼ら番頭、手代は仕事こそしますが、商売すべての仕組みをしりはしません。ただ口やかましい店主の指図にしたがうのみです。給料もいわれるままにさだめてもらい、つぎにする仕事も店主にきめてもらいます。彼らに商売の損得は元帳をみてもわかりません。元帳とは、会社でつける家計簿のようなもので、このときにどのような金額を、なんのためにはらったかを書くものです。

 こうして番頭、手代は朝夕を店主の顔色をうかがうだけですごします。その顔に笑顔があれば商売があたったと察します。眉の上にしわが寄っていれば商売の失敗をかんがえるのです。彼らはこのぐらいの推量をするていどで、店の心配をしてくれることはありません。

 ただひとつ気をくばることといえば、筆をつかって帳面に極秘のお金の出入りをつくることぐらいです。ワシの目にひとしい眼力をもつ店主も、そこにまではおよびません。うわっつらでは律儀りちぎな男のふりをしているのだから、店主も信じてうたがいません。が、その男が失踪しっそうなり、突然死してしまったあとで、帳面をひらいてみたら、どうでしょう。

 帳面にあるべき数字に、洞窟のような穴があいているのです。そのときはじめて店主は、男の人物のなりをしるのです。店主はため息をつくしかありません。

 これがおこるのは人間性のたよりなさのせいではありません。

 専制のたよりなさ、です。

 店主と番頭は赤の他人の、おとなどうしのかかわりあいです。その番頭に商売のルール(規則)の説明や約束もせず、ただ子どものようにあつかったのです。店主の失敗というものです。

 このように、上下関係だとか、とうといとかいやしいとか、この人物にこれができる、これはできない、とか、うわっつらの身分ばかりを盾にとって、専制をおこなおうとするから、このような無残なことにおわるのです。

 専制というのは、目上のものが目下のものの行動をとりしきることです。

 上下のかかわりなどをもうけてしまえば、人間はかならずそのほころびのすきまを縫おうとします。ほころびを縫うと、楽に生きられるからです。

 ひとのみていないところでなら、平気であざむくことでしょう。帳簿をごまかすのもそうです。みえないところでゴミを捨てるのもそうです。

 これをウソつき病といいます。

 が、この病気にかかった人物のことを、ウソつき病患者とはいいません。

 偽君子(偽善者)とよびます。

 たとえば封建時代、大名の家来はみな、忠臣をつくろっていました。しかし彼らのやることを、よくみてみましょう。

 上下関係をきびしくして、おじぎをするにも敷居のなかかそとかでこだわり、主君の葬式前日になると身をつつしんで肉食をひかえ、主君に子どもが生まれればかみしもをいそいでととのえます。年明けのあいさつ、菩提所ぼだいしょ参詣さんけい、ひとりも欠席するものはいません。

 彼らはあたりをみおろし、いうことでしょう。「貧乏なのは武士にあたりまえのこと。忠義を尽くし、国にむくいるのだ」と。あるいは「主君から米をもらっているのだから、命をかけるのもとうぜんのこと」といいます。たいそうな話です。いけ、といわれれば討ち死にすることなど怖くもなさそうです。だいたいはこのようなありさまですが、陰からひそかに彼らを観察してみましょう。そうしてみると本性がわかります。

 例の偽君子です。

 大名の家来に、よく仕事をするものがいるとします。その家来の家に財産ができるのはなぜでしょうか。このころ、すべての家にはかならず、さだまった給料がわりあてられていました。が、これは生活をたもつのにギリギリの給料で、余財などはいる余地はありません。まさに「貧は武士にあたりまえ」なわけです。

 それなのに出入差し引きしてみて、お金があまっているのはどうしてでしょうか。はなはだ怪しいことです。役得にしてもワイロにしても、主人のものを盗んだのにかわりありません。

 もっともいちじるしい例をあげましょう。

 普請ふしん奉行(建築大臣)が大工に金をせびったり、会計の役人が町人から謝礼金をうけとったりすることは、三百諸侯すべての家でつづけられていました。彼らにとっては、これらではいる金はあたりまえなのです。主君のために討ち死にしても惜しくないという忠臣が、他人の上前うわまえをはねて自分の腹の脂を厚くしているのです。金箔きんぱくつきの偽君子というものです。

 あるいはまれに正直な役人もいるでしょう。その役人にワイロのうわさがなければ、前代未聞の名臣といって一藩じゅうの評判になります。

 ですが、よくよくかんがえてみてください。その役人はただ金を盗まないだけにすぎません。

 ひとに盗みの心がないだけで、ほめるに値することでしょうか。偽善者でごったがえすそのなかに、十人なみの人間がまじったから目だっただけです。

 このように偽善者のおおい原因は、むかしの人間がそだてた風習のせいです。古人たちが妄想のままに、世の人民たちをみな、あやつりやすく、かわいい人形たちとおもいこんだためです。

 その弊害が、いまのべた専制の政治にいたるわけです。上のものは下のものをあやつった気でいますが、下のものはいまにも隙があれば裏切ります。飼い犬に手をかまれる、とはこのことです。

 かえすがえすも、世のなかにたよりないものとは名分です。世間に毒をたれながすのは専制抑圧です。おそるべきことです。

 あるひとがいいました。「このように人民のわるい例だけをあげればきりがない。しかし、すべての人間があさはかでもない。わが日本は義の国だから、むかしから義士が身を捨てて主君のために尽くしたという例もおおい」と。

 これにこたえてみましょう。

「たしかにそうで、義士もいないこともありません。ただその数はあまりにもすくないので、割にあわないというのです。

 元禄げんろく時代のころは、義の心の花盛りともいうべき時代でした。

 赤穂あこう七万石のなかには、義士が四十七人いました。例の赤穂浪士のことです。七万石の領内にはおよそ七万の人間がいます。一石とは人間が一年で食べる米の量です。

 七万のなかに四十七人いるのなら、七百万のなかには四千七百人の義士がいるということになります。

 時間がすすんで星がうつって、人情はしだいにうすくなると、義の心も落花のころとなる、というのは世間のひとの言葉です。私もそうおもいます。ですからいまの明治という時代は、元禄のころよりは、ひとに義の心がすくない、とかんがえなくてはなりません。

 そういうわけで元禄のころにいる四千七百人という数字を、十分の七にしてみるとしましょう。七百万につき3千二百九十人になります。これが現在の義士の数です。

 いま日本の人口は三千万人です。おなじ計算でくくりつけてみると、一万四千百人となります。この人数で日本を守るだけの手勢になるでしょうか。三歳の子どもにもわかる問題でしょう」。

 こんな話をしてしまうと、名分というものがいかにだいじでないか、あきらかなことでしょう。

 が、ここにひとつ言葉をたしましょう。

 名分とは、ありもしない虚飾のことをいいます。虚飾なのだから上下などすべてが無用のものです。虚飾を日本人の心から捨てようとするのはとても時間がかかるので、この実のない虚飾の上に実のある職分をあてはめてみましょう。職分さえ守っていれば、この名分などは、あってもなくてもかかわりなくなることでしょう。

 政府は一国の帳場で、そこから人民を支配して生活を守ってやるのが仕事、つまり職分です。人民は国に金をだして、政府がうごきやすいようにしてやるのが職分です。文官は政治の方向をきめるのが職分です。武官は命じられたところにいってたたかうのが職分です。このほか学者にも町人にも、おのおのさだまった職分があります。

 こういいましたが、注意が必要です。

 名分はさしおいていいのですが、職分だけは守らなくてはなりません。

 それなのに半知半解のとびあがりものが、名分などに礼儀を払わなくていい、ときいたとたん、職分のことをわすれて自分の仕事以上のことをするのは、みるに耐えられないことです。

 人民の地位にいるものが政府の法律をやぶり、政府のはかりごとで人民の産業に手をだし、兵隊が政治をどうこうしたいがために戦争をおこし、文官が腕の力に屈して武官の指図に折れたら、それは国の大乱というものです。自由に酔ってしまえば無法の騒動がおこります。

 名分と職分とは文字こそ似ていますが、その意義はまったくの別物です。勉学をつとめているものなら、これを誤りみとめてはなりません。

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