十二編(2)

 人の品行は高尚(こうしょう)ならざるべからざるの論

 前条のところで「いまわが国で、もっとも心配の種となっているのは、人民の見識の高くないことだ」といいました。

 人の見識や品行は、世のなかのあるべき道理を話せるというだけで、高くなるというわけではありません。

 禅家には悟道といって、仏の教えの伝えたい事をつかもうという学問があります。そこで言われていることは、とても奥深いことです。

 が、それを学んでいる僧侶たちのおこないを見てみると、遠回りで役に立ちません。

 実際のできごとに対しては、とても漠然(ばくぜん)としていて、見識がないのに等しいのです。

 ですが人の見識品行とは、見聞が広いというだけで知識が多い、と呼べるわけではありません。万巻(ばんかん)の書を読んで、天下の人にまじわっておきながら、自分の考えを持たぬ者もいます。

昔の教えを守ってゆずらない漢(じゅ)者がそうです。

 儒者だけではありません。

 洋学者といえども、この弊害をまぬがれることはできていないものがいます。

 西洋のもっとも新しい学問をこころざし、経済書を読み、修身(身のおこないをいましめて、人々が清らかにただしい道理をすすむ方法)論を放ち、哲学をし、ひたすら日夜勉強している者たちです。

 彼らのやっていることを見ていると、まるでトゲの上に座って痛みに耐えているかのようでさえあります。

 ところが、その彼らの日常生活を細かく見てみると、それほどトゲの上の生活をしているようではありません。

 目は経済書を読みこなしますが、自分の家の借金の返しかたがわかっていません。

 口は道徳をとなえますが、自分の欲望をおさえることはできていません。

 口先と行動を見比べてみると、二個の人間がやどっているようです。

 これではとても、さだまった見識を持っている、などとはいえません。

 とはいえ私は、論じること、見ることの大切さを否定しているのではありません。

 物事を正しい方向へみちびこうという心と、物事を実際にみちびいてやろうという心とは、別物です。

 この二つの心は、一緒になっておこなわれることもあります。おこなわれないこともあります。

 「医者の不養生(ようじょう)」とか「論語読みの論語しらず」ということわざは、この話をたとえているのです。

 人の見識品行は、理屈をとなえて高まるのではありません。

 見聞を広くするだけで高くなるわけでもありません。

 それならば人間の見識を高め、品行をさだめるには、どうすればいいのでしょう。

 その秘訣(ひけつ)をしめします。

 自分をひたすら突きつめ、いつもだれかと見比べ、ここはこうしたほうがいい、ああしたほうがいいとつねに改良の場所をさがし、一人で満足することのないようにすればいいのです。

 たとえば、ここに一人の少年がいるとしましょう。

 彼は酒や女遊びにおぼれたりはせず、ひたすら耐えて勉強にはげんでいます。父兄や先生にとがめられることもないので、彼は得意の色を浮かべることでしょう。

 ですが、この得意の色をよくながめてみましょう。

 ほかの遊んでばかりの学生よりは勉強ができるというだけの話です。身をつつしんで勉強するというのは人類の常です。ほめるに値することではありません。

 人生でなすべきことは、はるか遠くにあるものでなくてはなりません。

 今昔こんじゃくの自分の知るかぎりの人物を思いうかべ、その内の誰と比べ、誰の成したことと比べれば、自分が満足できるでしょうか。

 本当に満足するには、かならず上流の人物に目標をたてなくてはなりません。

 あるいは、別のたとえを出しましょう。

 自分にひとつの長所があって、そこの他人にふたつの長所があるとします。

 自分はその長所ひとつを持っているだけで安心できるはずはありません。

 あとを追ってきた人が、先に始めた人のおこないをさらに高めていくのは当たり前です。銅の剣を作りだした研究者のあとには、かならず鉄の剣を作りだす研究者があらわれるのです。

 昔にさかのぼればさかのぼるほど、比べる人が少なくなるのだから、先に生まれた人が追いぬかれるのは当然でしょう。

 それなのに、わずかに勉強をしているというだけで、人類生涯の仕事ととなえるのでしょうか。それではあまりにも思慮(しりょ)が足りません。

 酒と色気にまどうような人物は、怪物としかいえません。

 この怪物と比べて自分を満足させるということは、たとえば、自分が鼻炎(びえん)でないからといって鼻炎の人物に向かって誇るようなものです。いたずらに自分のおろかさを示しているだけです。

 仲間の中で酒色がどうこうという話を持ちあげ、この女には、あるいはこの男には、こうするべきだとか、ああするべきだとかいっている間は、とても議論をしているとはいえません。

 人の品行がすすめば、こういう猥談わいだんなどさっさと見限って、言葉にするのも嫌におもうはずです。

 いま、世間の父兄ふけいが日本の学校を評価するとき、以下のことを心配するようです。「この学校の校風はどのようで、生徒への校則はどのようになっているか」と。

 校風だとか、校則だとかいうのに気をくばるなど、父兄たちは何を狙っているのでしょう。

 校則をきびしくし、生徒の悪事や遊びを防ぎ、取り締まりの行き届きをのぞんでいるのです。これを学問所の美徳として、いいのでしょうか。

 私はこの考えかたを日本人として恥じています。

 西洋諸国の風俗は、けっして美しくはありません。醜いこと、見るに耐えないものが多いとさえ言えます。

 が、その国の学校を観察してみると、校風と校則のふたつだけで、名誉を得ている学校はひとつもありません。

 学校の名誉とは、学問する内容の洗練さと、教師の教えかたのたくみなことと、教師の人間性の高さと、やっている議論の水準の高さにだけあるといえます。

いまの日本の学校で教師をする者、学校にまなぶ者は、ほかの低俗な学校と比べて満足してはいけません。世界でいちばん上流をすすむ学校と自分たちを比べるのです。

 校風が美しく、校則の行き届きも、たしかに学校の長所といえます。

 が、その長所は学校が持つべき長所の最底辺にあるものです。

 となると、これぐらいでいい気になっているわけにはいきません。

 世界で名をはせる上流学校と比較するには、ほかに努力すべきことがあります。

 学校が校風や取り締りを議論している間は、たとえその取り締まりを何とかすることができても、けっして自慢できることではないのです。

 一国のようすを説明するときも、この理屈をあてはめられます。

 たとえばここに、ひとつの政府があるとします。

 かしこい役人を使ってよく政治をおさめ、民衆が苦しむときには正しい処置をほどこす政府です。

 この政府は、人々への信賞必罰しんしょうひつばつ、恩威の行き届かないところは少しもありません。すべての民が太平を得られたこのありさまは、誇るべきことのように見えます。

 が、その賞罰にしても、恩威にしても、幸せな民にしても、太平にしても、みな一国内のできごとです。それも名君ひとりの力、あるいは数人のかしこい臣下の手で生まれたものです。

 地上の平和をなしとげたという美点を、歴史にいままでなかったことだとして誇っているのです。

 しかしそれは、ほかの悪政府よりも良い統治を築いたにすぎません。

 この国は、平和だという長所ひとつを満たしただけで、けっしてその国のすべての問題を片づけたわけではありません。他国と一から十まで見比べて、自分の国にまだなにが足りないかは、考えられていません。

 この国を、地球という、もっと大きな視点で、ほかの文明と比べてみるとどうなるでしょう。

 数十年の間に、ほかの国ではせっせと、自分の悪いところをあらためているのです。

 この国がよい役人をひとり取り立てている間に、別の国では鉄道が生まれています。

 この国が民衆の苦しみに米を分け与えている間に、別の国ではおおきな会社が誕生しています。

 このように、ほかの場所でおこなわれていることと見比べてみると、例の国のあげた功績などは、けっして誇るに足らないものに見えてきます。

 たとえばインドを見てみましょう。

 あの国はけっして悪い国体ではありません。

 法律、学問、芸術、宗教のような文化は、西洋の人々が西暦を数えはじめる数千年も前から存在しているのです。その文化の精密さも奥深さも、西洋の理学にひけはとりません。

 また、トルコの政府もそうです。

 強さの名声はどこまでも高く、礼法、軍事体制、どちらも整っていないものはありません。国王に賢明でないものはなく、臣下も品行の曲がったものもいません。その人口の多さ、その兵士の強さ、ともにほかの隣国に比べられるものはなく、一時は名誉を大陸じゅうに輝かせたこともありました。

 インドは名だたる文化の国で、トルコは名だたる武勇の大国です。

 ですがそれは昔の話で、この二大国も今では、ひどいありさまです。

 インドはすでにイギリスの領地にすぎません。

 人民はイギリス政府の奴隷(どれい)と化し、ただアヘンをつくって中国人を毒殺し、そのうちのわずかなインド人が、毒薬売買の利をつかんでいるのみです。

 トルコもまたそうです。

 他国に占領こそされてはいませんが、商売の権利はイギリスとフランスに奪い取られています。イギリス、フランスのかかげる自由貿易の名のもとに、生産力は日に日におとろえているのです。

 トルコ人にはついに、布を織るものもなく、機械を作るものもいなくなりました。

 額に汗して土をたがやすか、何もせずに一日を無駄にすごすくらいのものです。

 いっさいの製作品は、英仏の輸入をたよるしかないのです。

 国の経済を発展させるための材料もなく、武勇を鳴らした兵たちも、貧乏にやられて役にたたないといいます。

 このように、インドの文もトルコの武も、国防の役にたたなかったのはどうしてでしょうか。

 そこに住む人民たちの見ているものが、わずか一点だったからです。

 国内のみをみて、自国のありさまに満足していたからです。

 インドは「この文化に比類するものなどない」といって、自分以上に文化の高いものが見当たらないのをみて安心したのです。

 トルコはほかの国の武力を見渡して「わが国に勝てるものはいない」と安心して、経済を磨くことはしなかったのです。

 こうして満足を打った彼らは、国内での議論をとめて、人々の集まりもやめてしまったのです。

 勝敗、名誉を目的とせず、日々をついやすだけの民が太平をうたうのでしょうか。外国のことに目もくれず、兄弟で死んだ親の相続権をあらそうのでしょうか。

 彼らはそのあいだに商売の権威にやられて国をうしなったのです。

 ヨーロッパの商人は、アジアなど敵ではないのです。

 これは、おそれなくてはなりません。

 この強敵をおそれ、同時にその国の文明をうらやましく思う者もいるでしょう。そういう人は、かならず内外のようすをよく見比べ、努力することができなくてはなりません。

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