十五編(1)

 事物を疑いて取捨を断ずること

 信じている世界にまちがいがおおく、うたがう心に真理がおおい。

 こころみに、みてください。

 世間の愚民(ぐみん)たちは、ひとの言葉を信じ、ひとの本を信じ、小説を信じ、うわさを信じ、神仏を信じ、うらないを信じています。

 父母の病気にあんまを信じて草の皮をつかい、娘の縁談にうらないをつかってよい夫をうしない、熱病に医師をまねかず念仏をとなえるのは阿弥陀如来(あみだにょらい)を信じているためです。三十七日の断食(だんじき)に落命するのは不動明王(ふどうみょうおう)を信じるためです。

 こうして人民がおこなうことに、どれほど正解があるかとはかってみると、それほどおおくありません。正解がすくなければ、まちがっていることがおおくなるのはあたりまえです。

 おもえば、人民はいろんなものごとを信じていますが、その信頼心は、まちがったものを信じてやまないわけです。

 ゆえにいいます。信じている世界にまちがいがおおい、と。

 文明の進歩というものは「これがどうしておこるのだろう」と疑問を感じたときにすすむのです。

 そうしてみつけたものを真実とよびます。

 西洋諸国の人民がいまの文明にたどりついたのはどうしてでしょう。

 うたがいの心から、この高い文明が生まれたのです。

 むかし天文学では、太陽が、月が、不動の地球のまわりをぐるぐるまわっていると信じられていました。ところがそこにガリレオがあらわれ、天文学の旧説をうたがって、地動説を押しだしたのです。地動説とは、地球が太陽のまわりをまわるというかんがえかたです。

 ガルヴァーニは、死んだばかりのカエルの脚にメスをあてたとき、その脚がけいれんするのをみて、動物電気をひらめきました。ここから生物のおこす電気を研究する分野が生まれました。これをきっかけにつくられたのが、ボルタというひとのつくった電池というものです。

 ニュートンはリンゴが木からおちるのをみたとき、星には重力があることを発見しました。

 ワットは鉄ビンの湯気(ゆげ)をいじっていたとき、その湯気がものをうごかすのではないか、とうたがいはじめるようになったのです。

 いずれもみな、うたがいの心をもったからこそ真理をみつけたのです。

 理学の話はここまでにするとして、社会の進歩もまたおなじです。

 奴隷(どれい)売買の存在価値をうたがって、のちの世界からこの悪法を絶やした人物はトーマス・クラークソンです。

 免罪符(めんざいふ)。なにをやっても天国にいける札といって、貧乏にこまった教会が売りだしたものです。この免罪符のおかげで犯罪者が増えました。これに反旗をひるがえし、べつの一派をつくりだしたのはマルチン・ルターです。

 フランスの人民は貴族のいばりぶりに疑問を感じて反乱をおこし、アメリカの州民はイギリスの口だしに異をとなえて、さいごには独立を果たしました。

 いまも西洋では、名のある人物があたらしい説をつかって人間たちを文明にみちびいています。

 彼らの目的は、古人がきめつけた定理に一撃をくわえることにあります。つまり世のなかで、きまりきった習慣にうたがいをかけることにあるのです。

 いまの世のなかでは、男は表にでて働いて、女は家にこもって家事をする、というのが定理となっています。

 が、イギリスではスチュアート・ミルというひとが『婦人論』という本を書いて、この定説を打ちくだこうとしています。

 イギリスの経済学者たちは自由貿易を歓迎するものがおおいようです。この自由貿易を信じるものたちは「自由貿易こそ世界経済の定説だ」と信じています。自由貿易というのは、国が輸出入についてなんの課税もかけない方法です。

 が、アメリカの学者たちは保護貿易をとなえて自国の経済を守り、そだてようと主張しています。保護貿易とは、自由貿易とはちがい、輸入されるものに税金をうわのせして、外国のものがはいりづらくする方法です。

 ひとつ新発明がだされれば、すぐにそれに一説がくわえられるのです。

 こうして論争はいつまでもやむところをしりません。

 アジアに住む人民のことに話をもどしましょう。

 まじないや神仏をおがみたおし、むかしの聖者の話を信じきっています。

 何百年、何千年たってなお、それらの言葉にうたがいをかけていないのです。

 このアジアのようすを、西洋人の品行との差、いだいた目的のたけだけしさの差とくらべようとしても、できた話ではありません。

 論争をおこして、ものごとの真理を突きつめるのは、逆風にむかって船をうごかすようなものです。

 航路を右にとり、あるいは左にしたり、波にぶつかり嵐にさからい、数百里船をうごかしてみても、じっさいにすすむのはわずか三、五里にすぎません。

 航海にはたびたび順風(じゅんぷう)のときがあります。

 が、人間のなすことにこのようなことはありません。

 人間が進歩し、真理にゆきとどくためには、ただ論争のなかに身をとうじるしかないのです。

 議論しなくてはならない話題がのぼるのは、ただうたがいの心が生ませるものなのです。「うたがう心に真理がおおい」とは、こういう意味です。

 ものごとを軽々しく信じてはならないのはただしいことだ、といえます。

 ですが、ものごとを軽々しくうたがってもいけません。

 ただしく信じるか、ただしく信じないか。

 それをきめるには、判断のただしさが必要です。おもえば学問とは、この判断をただしくおこなうためにするものだといえます。

 わが日本においても、開国のときに、人心がかわり、政府がかわり、貴族をたおし、学校がおこり、新聞局がつくられるようになりました。

 鉄道、電信、兵制、工業、いずれもむかしのやりかたでなくなったのは、数千百年の習慣にうたがいをいれ、これを改革してやろうとかんがえたからこそ、いまの功績となったのです。

 ですが、よくみてみましょう。

 人民が、この数千年の習慣にうたがいをいれたのは、そもそもどうしてでしょうか。

 はじめて国をひらいて外国とまじわったときに、ほかの文明を目にし、その優秀さを信じたからです。

 これを真似しようとして、旧幕をうたがいはじめるようになったにすぎません。

 自発的におこったうたがいの心とはいえないのです。

 日本人は、孔子のような、むかしの人物の言葉を信じきっていました。その信じきっていたものが、いま西洋文明を信じきるようになっただけです。東の旧時代の言葉を信じていたのが、西の新時代の文明にくらがえしただけです。

 人民たちがもちあげる、いまの新時代の文明のどこがいいところで、どこがわるいところか。

 その判断をただしくもってはいないのです。

 私はいまだに浅学(せんがく)見聞(けんぶん)もすくない身ですから、新時代のよいところ、わるいところを名指しすることができません。それは私の懺悔(ざんげ)するところです。

 が、世のひとびとの顔色をみてみると、どうみても新時代におどっているようにしかみえません。

 新時代のもたらしたものを信じすぎるあまりに、いままで日本にあったものをうたがいすぎています。

 信疑ともに、ちょうどいいものとはいえないのです。

 いまからそのようすをあげましょう。

 東西の人民は、あたりまえながら、それぞれちがう文化をもっています。

 もののかんがえかたもちがいます。こういった習慣はどの国でも、数千年にわたっておこなわれてきました。

 そのなかには美徳もあり、あるいは悪習もあります。西洋人の教育のしかたはすばらしいですが、他人のいじめかたには目をおおいたくなるものがあります。

 たとえ美徳とわかっていても、なんのかんがえもなしに、べつの国から自分の国にうつしてはなりません。

 西洋人の教育をそのままもちこめば、自分の国がどうなるか、ということをかんがえなくてはならないのです。

 日本の文化にそぐわない教育法ならば、いれるべきではないからです。

 美徳か悪習かわかっていないものを輸入していいかどうかなどは、いうまでもないことでしょう。

 わが国にうけいれるには、時間をかけて、よくかんがえなくてはならないのです。そうして美徳か悪習かをわけて、とりいれるのです。

 それなのにさいきんの世間をみてみると、改革者までが、あるいは文明開化をとなえる人物までが、口をひらけば西洋文明の美のことばかりなのです。

 ひとりがこれをとなえれば、一万人がこれにしたがいます。

 知識、道徳のおしえから、治国(ちこく)、経済、衣食住のこまかなところまで、西洋をしたってならおうとするのです。

 西洋のことをなにもしらない人物すら、しらないままに、ひたすら旧時代のおしえを捨てて新時代をあがめるのです。

 ものごとを信じること、軽々しいことです。

 ものごとをうたがい吟味(ぎんみ)すること、あさはかのきわみです。

 西洋の文明はわが国の右にでることはあきらかなことですが、けっして文明が完成しているわけではありません。

 その欠点をかぞえれば、きりがありません。

 西洋の風習がどれもこれも美徳で、信じるべきものでもないわけです。

 わが国の風習がどれもこれも悪習で、うたがうべきものでもないわけです。

 たとえばここに、ひとりの少年がいるとしましょう。

 学者先生の話に酔っ払って、そのやりかたを真似しようとし、にわかに自分のおこないをあらためるのです。

 本を買って文房具をそろえて、日夜机にむかって勉強するようになったのは、とがめることではありません。よいことといえます。

 が、この少年が先生のやりかたを真似るあまりに、先生の夜話につきあって、朝に寝て夜おきるという生活になってしまいました。そんなところまで先生に似てしまったのです。

 そうして少年はついに体をこわしてしまいました。

 これを知者というべきでしょうか。

 おもえば、この少年は先生をみて完全な学者とさだめたためにおこったできごとだといえます。

 先生の日ごろのおこないのよい面、わるい面をかんがえもしなかったのです。のこらず真似しようとしたために、このような体の不幸におちいってしまったのです。

 中国のことわざに「西施(せいし)(ひそ)みに(なら)う」というのがあります。

 西施というひとは、胸をわずらってくるしかったために、顔をいつもかすかにしかめていました。その眉をひそめるようすが世間のひとびとにはうつくしくみえたようで、女たちはこぞって真似をした、という事実から生まれたことわざです。

 意味としては、ものごとの良否をかんがえずに真似をして、ひとにわらわれる、というものです。

 美人が眉をひそめるすがたは、たしかにうつくしいでしょう。これを真似してわらわれるくらいならば、まだいいです。

 が、少年が先生の朝寝を真似することに、なんのうつくしさがあるでしょうか。

 朝寝はしょせん、ただの朝寝です。不養生にむしばまれる悪事にすぎません。

 ひとを慕うあまりに、悪事まで真似するとは、わらうべきところの限度を越えています。

 ですがいまの世間の改革者には、この例にあげた少年のようなものが、すくなからずいるのです。

 東西の文化をとりかえっこしたとしましょう。

 西洋では筆をもって墨汁(ぼくじゅう)をすり、東洋ではペンをもって羊皮紙(ようひし)に言葉をつづるように、なにもかも文化を反対にした、とするのです。

 そうしてみたとして、文明開化につきしたがう日本の先生たちに、評論をおねがいしたとしましょう。

 その評論はこんなふうになるだろうと想像して、ここに書いてみます。

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