西洋諸国は文明開化の国だ、と。
この言葉は、まったくもってその通りだと思います。私もまた、西洋諸国というのはすごい世界だ、と説く人間のひとりです。
ですがアメリカ生まれの道具をみれば、フランス生まれの学問をみれば、ばくぜんと文明開化と指さす人がいます。
どのあたりが文明開化なのかと理解できなければ、それを学ぶにあたって、それを採用するにあたって、大きな間違いはないだろう、などと期待してはいけません。
そもそも西洋の文明開化が起こった理由には、土地が広いだとか、狭いだとか、人口が多いだとか、少ないだとか、そういったものは関係ありません。道徳心のさかんか、そうでないか、勉強の進んでいるか、遅れているか、哲学の域が深いか、浅いかでもありません。
ためしにアジアとヨーロッパとを比べて、おたがいの国で生まれた道徳をみてみましょう。
どのていどの差があるでしょう。
キリスト教も、儒教も、仏教も、どの
それならばキリスト教の人間が「自分たちのおこないこそ正しいのだ」といえば、仏教もまた正しいことになります。キリスト教が悪いのだといえば、儒教も悪いことになります。おたがいの宗教が、自分たちこそ正しいととなえれば、その場の論争に終わるぐらいのものでしょう。
宗教は文明開化が起きる、起きないにかかわる事柄ではありません。
また、西洋の学問と東洋の学問とを比較するとどうでしょう。
やっていることこそ違いますが、その深さを簡単に決めてはいけません。東の物知りの中には、西の学問を知らないくせに「あちらは下等な学問だ」と吐き捨てている者がいるようです。西の物知りにもまた、東の学問を学ばないままに「東のやつらは無学者だ」とあざけっているようですが、どちらのいっていることも議論ではありません。
学問ができる、できないというのは、個人個人の学力にかかわっているもので、東西の学問の深さとは関係がありません。学問の進んでいる、進んでいない、というのは、文明開化の源だということはできません。
理論の深浅もまた、いうまでもないでしょう。西洋の理論は、かならずしも深いわけではありません。東洋の理論は、けっして浅いわけではありません。この理論が深いといえるのは、東でも、西でもなく、かえって太古のインドにあるといえます。
西洋諸国に文明開化がおこったのは、道徳の心からでも、学問の高まりからでも、理論からでもありません。それならば、文明開化はどこから起こったのでしょう。
私からみるならば、これは人民どうしの接触が多くなったから起こった、といわざるを得ません。
天地に生きる、世界じゅうの人間がたがいにふれあう場所のことを社会といいます。
社会には国のような大もあれば村のような小もあり、活発で明るい人もいれば、無力な人もいます。
これらはみな、接触の多い、少ないで決められたものです。接触が多くなれば、村も国になります。接触が多くなれば、無気力の人間も明るくなるのです。
接触する機会をよく使いこなして、
たとえば、山にこもってひとりで住む
風流にいえば、一隠者を街びとに化してしまう、というものです。文明的にいえば、その人を活発にして、心身がじっさいに役だつようになった、となります。
人間社会も同じようなものです。
接触がたくさんできて、人の往来が多くなれば、人の心身をじっさいの用に使わなければならなくなります。農作業しかない村のまんなかに、大きな道ができて、人がよく通るようになれば、その旅人の靴を修理してやる人物が必要になってきます。服をあつらえるところもでてきます。そうして村は国になるのです。
人の心が、ひとたび実際に役立とうと思うようになれば、社会でおこなわれる学問も理論もみな、じっさいに役立つものでなくてはなりません。
ゆえに東西の学問や理論をくらべても、その進歩の度合いにいっさいの差はないといえます。
それなのに東洋のやっていることが生活に役立たず、西洋のすることが役に立ちやすい、という違いは、どうして起きるのでしょうか。その原因は、ひとびとの接触の機会の多いか、少ないかにあるといわざるを得ません。
東洋の詩人などは西洋を評して、その学問と理論は西洋土着のもので、西洋の土地古来のものの考えかたから生まれたものだ、といっているそうです。
が、その土着の考えかたとやらは、いまの文明世界の考えかたとなっているのだから、これこそ人間の動力と認めざるを得ません。社会での人間のふれあいが大事なことは、この理由からでもわかることでしょう。
むかし西洋諸国では航海術を研究することで、ひとびとが北海、地中海を往復するようになりました。
それだけではありません。
いまの西洋人は大西洋を越えて、太平洋もまたぎ、地球上のあますところなく、歩ききっていないところはありません。
西洋の道具を他国に持ちこんだり、西洋の人も他国に移ったり、文化のまったく違う国に入ったり、言葉の違う人と会うときには、口では例えられないような苦労もあったことでしょう。自慢したくなるような愉快なこともあったことでしょう。
彼らは心身をひたすらきたえて、見聞を広めることで、活発な性格を生みだしました。その利益は、東洋人がこれまでに知らないものでした。
それならばいま、西洋諸国があれほどに高い文明を持っているのは、ただ人間同士の接触の多さにのみ原因があるといえます。
すなわち、東洋諸国がいまだに文明が低いままなのは、他国どうし、知らない者どうしの接触が少なかったからといっていいでしょう。
1800年代になって、蒸気船、蒸気機関車、電信、郵便、印刷の発明品を作りだして、この人間の接触の方法を、よりたくさんにしたことは、まるで人間世界を
本編はおもに、この発明が、民情、つまり人々の心にどのような影響をおよぼしたのかを論じるために作られました。蒸気船車、電信、郵便、印刷とよっつの項にわけてみましたが、よくよくみれば印刷も蒸気機関をつかっています。郵便配達も蒸気船や蒸気機関車をもちいています。電信も蒸気の力を借りているのです。
それならばつまり、すべては蒸気の力ひとつのおかげといえます。人間社会がうまくめぐるのは、蒸気のおかげともいいかえられます。
1800年は蒸気の時代です。この時代の文明は蒸気の文明といっても言いすぎではありません。
蒸気がひとたび現れたときから、昔のものをいっせいに転覆していったのです。この蒸気の力で、布を織るのは人間の手ではなく機械になりました。人を運ぶのも人ではなく、機械になりました。人間の力がそれほど役に立つものではなくなっていきました。
いろいろと
蒸気は1800年以前にはなかったものです。
まさにこの1800年代というものは、世界が一新された年代といえるのです。となれば、いまの蒸気の文明は、いま生まれたばかりの文明なのだから、昔の考えかたで判断することはできないのです。
むかし、西洋人が遅い遅い
帆船でさえこれだけの効果があったのです。蒸気船や蒸気機関車を使って、帆船などとは比べものにならないほどすばやく地球の水陸をかけまわったら、どうなるでしょうか。
たどりついた国に、電信、郵便、印刷を使って、いろんな情報を伝達させることができれば、その国の勢力は、計り知れないものになるでしょう。
一新また一新、一変また一変。これまで地球上にあった古いものを、片っぱしから
ただそのさいに、人々の中に、少しなりとも旧習を残そうとするおこないもあることでしょう。が、けっきょくはこの変革を遅らせるぐらいで、止めることはできません。
この世界の動きを知らずして、どこかの
彼らのやっていることはわからないでもありませんが、世の勢いはもはや、地球をのせた船のようなものとなっています。
われわれ世界人民はみな、その船の上にいるのです。人間の心が波のようになってほかの人間に襲います。人間の情が海のようになって人の体をつつみます。
そんな中にあって、ひとりだけこれに抵抗して気づかないふりをする、というのは、船に乗りながら船の動かないことを望むようなものです。彼らの考えの浅いこと、彼らの心のいやしいこと、言葉では言い表せません。
この腐儒者たち、軽薄少年たちが文句をいっていたところで、彼らもまたいずれ船に乗せられて心の開くときが来るのみです。
蒸気、電信の勢いは、これほどのものです。
これは別に西洋人だけが私有しているものではありません。たしかにこの発明はもともと西洋でされたものですが、じっさいに蒸気機関車や船や印刷機を作りだしてみれば、そのすさまじいほどの成果に、作りだした西洋人自身も驚き、うろたえている有様となっています。
西洋人がこのような奇跡を起こしたことは、ハトがタカを産んだようなものです。蒸気機械というヒナにも羽がはえれば、やがて飛空するようになります。そうなればほかの鳥をおびやかすようになり、ときとしては生みの親をこわがらせることもあるのです。西洋人という母が蒸気というタカにいだく驚き、
そうしてこのタカが生まれたのは、たかだか50年前です。その勢力が表れ始めた年月になれば、たかだか2,30年にしかなりません。
いまこの世で発明されたものは、すべて世界じゅうの財産です。それならば、各国の人がこの西洋人の発明を使ってもいいのです。
その気のある人がこれを使えば、かならず人を制し、思うように使えるでしょう。その気のない人は、かならず人に制されるでしょう。