第三章 蒸気船車、電信、印刷、郵便の四者は千八百年代の発明工夫にして、社会の心情を変動するの利器なり。(1)

 古来から、世のなかには新発明や新工夫はすくなくありません。

 天文、化学、工学などは時代がすすむにつれてかわっていきました。こういう話は、読者もおのおのでわかっていることでしょう。

 むかしではコペルニクスやガリレオの地動説、元素の発見、火器の製造などがあげられるでしょう。

 さいきんでは種痘(しゅとう)、ガス灯、紡績機械などです。このなかで、もっとも成果の高く、実用性もあり、人間の精神さえうごかして知識や道徳さえくつがえしてしまったものがあります。

 蒸気船、蒸気機関車、電信、郵便、印刷です。

 これのはじまりをたどってみると、蒸気船は1807年、蒸気機関車は1825年、電信は1844年からはじまったものです。

 いずれも実用をなすようになってから、五十年にも満たないのです。

 郵便のやりかたも、イギリスでかたちになったのは1600年代ではありますが、その方法が大変革されて、いまのようにあつかえるようになったのは、1840年のことです。

 このとき、ローランド・ヒルというひとの立案で、イギリス全土の郵便をかえようという話がもちあがりました。イギリス国内であれば、どこであっても手紙の重さ半オンス(イギリスの重さの単位)につき、郵便税1ペニーとさだめたことによって、この郵便が世間でよくつかわれるようになったわけです。(国内の郵便税を平均化するという方法は、いままでにない新工夫でした。ヒル氏がひとたびこの方法をあみだしてしまうと、欧米諸国ではこれにならわないものはないほどになったのです。)

 また、印刷も、そのはじまりはきわめて古いものです。そのために発明された道具も、数しれないほどです。

 古代の印刷法は、平面の活字版に平面の板を押さえつけて文字をうつしつけるものでした。

 それをあらためて、こんどは円柱をつかうようにしました。その円柱に活字をほりこんでハンコのように押したり、そうでなければ平面の活字版の上に円柱をころがして文字をすりこんだのです。

 ですがそれも、蒸気機関が生まれてから、印刷の速度は百倍にもなりました。そうしてついに、いまのように、そこらで印刷物をみれるようなありさまになったのです。

 文字の打たれた円柱をつかってすばやく紙に押していくという方法は、1800年のはじめごろ、イギリスのニコルソンと、ザクセン王国のケーニッヒたちによってつくられたものです。

 こうするようになったのは、わずか60年ほど前からにすぎません。

 この発明が世界じゅうをかえていったことは、いまさら論議の必要もないことでしょう。

 電信をつかって商売のための情報を交換しあったり、蒸気船、蒸気機関車をつかって貨物をはこんだりするようになってひさしくなりました。

 そのおかげで、海からとおくはなれた内陸にも魚をとどけられようになりました。それまで内陸では高価だった魚も、海ぞいの町とそれほど値段もかわらなくなったわけです。

 投機とは、みじかい時間のあいだに、値段の上下しやすいものを買って、もうかりそうな時期をみはからって売ってもうけようとする商売です。この投機というなりわいをもつひとびとも、この技術の進歩のために、むかしどおりのやりかたではすまなくなったといいます。(さいきんは日本でも、鉄道のおかげで、東京からだいぶん北にある奥羽越後の米の値段が、それほど東京とかわらなくなってきました。おととしのことですが、横浜で生糸の値段がとつぜん値上がりしたことがありました。その情報は電信によって、すばやく地方の生糸生産者たちもしることができました。彼らはつぎつぎに対処をとったために、生糸生産者と生糸販売者のあいだにたって金をもうける仲立ち業者が逆に損をしたという話も、この技術進歩の例としてみてください)

 むかし、オランダ人がひたすら東インドの香料を独占していたというような話がありますが、けっしていまの世におこなわれるべきものではありません。

 これを、小規模なできごとにかえていいましょう。

 わが日本が鎖国をかためていた時代です。大阪の商人が、長崎にやってきたオランダ船ひとつに積まれたわずかな荷物を買い占めて、一年ものあいだ、日本じゅうの薬の値段を自由自在にあやつったことがあります。

 それももはやむかしの話で、いまの時代にはとうていおなじことはできません。

 蒸気船をつくることは、鉄道を道にのばすことよりはかんたんです。このために、はじめはみながみな、こぞって船を組みたてていました。ですがさいきんは、鉄道をつくることにも力をそそぐようになってきました。このいきおいはますます増加して、とまるところがないありさまです。

 もしも今後、ヨーロッパからトルコまで鉄道を敷いて、その上さらにインド、シベリアまで行き来ができるようにして、しかも中国のはじっこまで線路をわたしてしまえばどうなるでしょう。世界じゅうの商売にどのような変化がおこるようになるでしょう。

 イギリスは航海技術をつかって手にいれてきた利益をうしなうのはとうぜんです。それだけではおわりません。あの国は四方を海にかこまれているのだから、逆に大陸の国々と商売であらそうことができなくなるでしょう。

 また、この技術が生まれたことによって、防御のときにも不利が生じるでしょう。

 むかしの海国は海水をつかって防御していました。海の水が敵の兵士を寄せつけなかったのです。

 ですが蒸気軍艦が生まれると、敵が攻めてくるときにはどこの海岸からしのびよってくるかわからなくなりました。こういうわけで、こちらも船をだしてあちらの船をむかえうつ、ということもむずかしくなりました。

 ですが今後、鉄道がよく敷かれるようなことになれば、陸上を走る便利は水をわたる便利を越えることになり、したがって海水もふたたび要害としてつかえるようになるでしょう。海水をたよるありさまは、むかし蒸気船、蒸気機関車のなかったときのようにもどるでしょう。

 蒸気文明にするか、しないかで、国勢はかならずかわってきます。

 ゆえに、蒸気、電信はたんに商売の損得にかかわるだけではありません。戦争の勝敗、国交をするさいの得の度合い、それから政務の速さにまで、人間の幸、不幸に、この蒸気がかかわらないものはありません。

 たくみにこの文明をつかえば、きょうの貧乏人もあしたには富豪になるでしょう。つかいかたをしらないものは、白昼に財産をとられてもうったえるところはありはしません。

 蒸気、電信はひとをまずしくして、ひとを富ませ、ひとに知恵をあたえ、ひとを愚にし、はなはだしいことにはひとを生かしたりもころしたりも、国をおこしも国をほろぼすこともあります。

 ヨーロッパ人はいいます。「電信は世界をせばめた」と。

 私はおぎないます。「電信に蒸気をくわえてつかえば、すべてのものごとにかかる時間はちぢまり、ほかにも手をだせるものごともおおくなり、人間の寿命をながくする」と。

 古人は一日に40キロを歩いていましたが、いまの人間は一日に1200キロを走ります。古人はひと月かけて手紙をおくっていましたが、いまの人間は一分でとおくのひとの消息をしります。古人が七十歳でやっとおこなった事業は、いまの人間は三年でおわらせます。古人が百人あつまって力をついやしたものも、いまの人間ならばただ一手のみでこれをなします。

 ゆえに、いまでもこの利器をつかうものとつかわないものとを比較すれば、その勢力や権威に幾百倍のちがいがあることをしるでしょう。

 論語でこういっています。「智きわまりて勇生ず*」と。(*論語にこの字はみられない。)

 この言葉、私が解釈しているのは、智とはかならずしも知恵のことではない、ということです。知恵とはふつうは、ものごとの道理をかんがえて工夫することです。

 ですが見聞がひろければ、世のなかのありさまがよくわかる、という意味にもとってもいいでしょう。

 英語でいうところの「インフォメーション」という意味にとってかまいません。

 人生においては、みたこともきいたこともないものについては、こわごわと、遠巻きにみてしまうものです。わからないながらもすすんでやろう、という気はおきないわけです。

 ですがぐうぜん、その新しいものごとをきいたり、目撃でもするとどうでしょう。

 ひとたび、その新しいものごとに手をふれてみると、こうしたほうがいい、ああしたほうがいいと、工夫もわいてきます。新しいものにたいする度胸もついてきます。

 ついにはかんたんに成功をおさめてしまう、ということもおおいのです。

 諸国漫遊の修行僧から話をきいて、われも遊歴を、とおもいたつこともあるでしょう。航海者の話をきくと自分も船にのってみたくなるでしょう。イナカの小民もたびたび法廷にあらわれていればそれに慣れます。臆病な人物も、戦場におもむけば勇気を生じさせるのも、その例といえるものです。

 そういうわけならば、ここで古人の言葉をいいかえて、「見聞ひろければ勇生ず」と、いってもいいでしょう。

 いま、ひとの見聞をひろくするためにもっとも有力で、もっとも効果的なものは印刷と郵便のほかにはありません。

 たとえばいま、イギリスの人口はおよそ3100万人です。この国で発行されている新聞紙、雑誌の種類は1692種です。このうち首都ロンドンで出版されたものは320あまりです。

 発行物の種類を1692種といいましたが、これらのなかで毎日発行しているのは142種類で、このうちでロンドンでだされているのは18種です。もっともよく売れているのはロンドンの「デイリーテレグラフ」という新聞紙だそうです。これは一日に約24万紙をすりあげているといいます。これに次ぐのは、「スタンダード」といわれるもので、一日に17万紙を発行しています。ほかの新聞紙、雑誌についてはいうまでもないでしょう。

 これら幾万の紙数はみな、毎日、毎週、毎月にそれぞれすりあげて、運搬するときには蒸気機関車にのせるのです。こうして朝に印刷したものは、夕には全国すみずみにとどいているわけです。いそぎの用の場合には、電信をつかって瞬時にしらせるのです。

 雑誌や新聞紙のほかに、郵便物や手紙の利用もすさまじい数のようです。

 1867年、イギリスでの郵便の数は新聞紙をのぞくと、手紙のみだと7億8000万です。

 これを人口3100万にわりふると、おおよそ、ひとりにつき25通ということになります。さかんなもの、というものです。(1874年の郵便物の統計によると、手紙は9億6700万で、ハガキの数は7900万、書籍、新聞紙は2億5900万となります。合計にすると13億500万にもなります。本文で書いている、1867年の手紙の数をみるだけでも、1874年ではふえていることがわかります。)

 雑誌、新聞紙、手紙というものは、すなわち人間の見聞を交換する道具です。およそ国内外のできごとや新説などは、この雑誌、新聞、手紙を読み、これを語りこれをきき、これをつたえて、ひとびとはほとんどニュースをもらすことがありません。まるで、国じゅうのひとがメガネをかけて他人の思想言行をみているかのようです。

「見聞ひろければ勇生ず」の言葉が、果たしてちがわないのであれば、イギリス人の活発性と、進歩的な態度は、ぐうぜんに生まれたものではありません。

 上記の例はただイギリスの一例にすぎないわけですが、フランスその他のヨーロッパ諸国においても大同小異です。あるいは、イギリスのいきおいにはかなわないまでも、たんにいまのところはその域に達していないだけです。いまのありさまで、このヨーロッパのなかに退歩しているものがあるという話をききません。

 けっきょく、ヨーロッパでみながみな進歩をえらぶようになった原因をみつめてみると、印刷、郵便の新工夫ひとつのためといえます。

 蒸気や電信は、これにおおきな力をあたえている、といわざるを得ません。

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