第三章 蒸気船車、電信、印刷、郵便の四者は千八百年代の発明工夫にして、社会の心情を変動するの利器なり。(2)

 わが日本でも、すでに鉄道、電信はあります。

 ですが鉄道はいまだに論ずるに足りず、電信、郵便にしても、人民はいまだにつかいかたに慣れていません。印刷も便利にはなっていますが、さかんなほど、とよべるほどのものでもありません。

 たとえば雑誌、新聞紙といっても、全国各社の出版紙数をかぞえてみたところで、幾万もあるわけではありません。はなはだすくないわけです。

 この国のいきおいがすすんで、しりぞいたりさえしなければ、今後は国じゅうに鉄道を敷いて、人民もしだいに郵便、電信のつかいかたに慣れていくこともあるでしょう。そうなれば人民たちもおのずと、心身の活発さがたいせつであることをしるでしょう。

 そうなれば、わが国の社会は一変することになるのはうたがいようもありません。

 たとえばいまの雑誌、新聞、郵便も、地方への配達(むかしよりはマシになっていますが)がすくないから、その便利もまたすくないものです。が、日本国、どこへでも一日で配達できるようになれば、流行もいまよりも何倍にもなってさかえることでしょう。

 郵便や電信は文書をゆき交わせるだけではありません。経済上においても、いままで見向きもされなかったようなものが値を生じさせることもあるでしょう。専売されていた道具も名声をおとすでしょう。辺境無人の里も、鉄道の停車場となれば、そこらの土地の値段もあがるでしょう。

 商船をとめられる港で、問屋の利益をひとりじめにしていたような人物は、この鉄道の到来によって財産をうしなうこともあるでしょう。

 こうして鉄道や郵便がかたちをなすとき、貧富の差がととのうのみではありません。

 青森、北海道の婦人は鹿児島にとつぐこともあるでしょう。長崎の男は函館の養子にもなるでしょう。きのうまで東京に住んでいたものは、一夜のあいだに中国地方に家をうつし、そのつぎの日には北陸地方を渡り歩くこともあるでしょう。午前に大阪でつくられた菓子は午後には東京の茶席にならぶでしょう。今朝四国で刷られた新聞は、夕方には東北地方で演説されていることもあるでしょう。どれほどにはなれていても、思想がひとつにつながり、方言も、語音も、なまりまでもとけあって平均化するでしょう。

 政治軍略にもまた一変がおこるでしょう。朝に西南戦争の話をきけば、幾万の兵が夕方に関門海峡をわたることができるのだから、各地方の常備軍などは必要もなくなるでしょう。

 いまの県庁もおおすぎる、ということになり、免職されるものもでるでしょう。そうならなくとも、県庁のつかいかたはかえなくてはならないでしょう。

 ささいなことになりますが、役人や民間人を問わず、亡くなった父母の墓参りにいくときにも、変化があらわれます。

 日本国じゅう、さまざまな場所に墓がすえられていることでしょうが、これも鉄道でわたれるところならば、三日以上かかることはありません。

 徒歩では一日40キロがやっとです。故郷までの距離を、この40キロで割って、その日数を旅行代として払っているのです。故郷まで120キロならば三日分の旅行費です。

 鉄道にのるようになれば、この旅行費も不都合になり、果ては裁判所にでむくさいの日数計算も、廃さなくてはならないでしょう。

 いまの日本社会でよくつかわれている常套句(じょうとうく)があります。

「とおいために不都合があるから、あの仕事ができなかった」とか「遠方の地であるだけで手間がかかり、めんどうだ」とか、「とおいがゆえに連絡がとりあえず、ついにこのようなまちがいが生まれた」だとか「連絡がとれないから、あの人物のことはしらない」などといった言い訳です。

 これらも鉄道や電信が発達すると、この言葉もゆるされなくなるでしょう。日本に遠路がなくなるからです。(数十年、数百年のちには戯作や小説もおもむきがかわるはずで、父母のゆくえをさがしながらあえない、だとか、兄弟や生涯の親友に、はからずもどこかの遠方の地でであって、いちどわかれたのち三年後に再会、という滝沢馬琴のこのみそうな話も、もうつかえなくなっているかもしれません。そういう物語の展開がつかえなくなるのだから、のちに生まれる作者もこまったりするでしょう。また、むかしからある三味線の弾き語りの文句に、旅にでるときの話があります。江戸から、長崎から、いろんな街へいくという話ですが、西では九州鹿児島、東は青森、北海道と、とおい場所のたとえにこの名前をだしているのです。が、いまの時代というのは、きのうの夜に長崎のどこかでおこった火事は、きょうの朝には電信によって警察署に張りだされています。三日前に北海道をでたひとは、土産をもって東京についているのです。十歳そこらの少年がそんな三味線の文句をきいたところで、鹿児島をそれほどにとおい場所だとはおもいません。

ただ、老人がむかしはよかったなどとおもいながら、いまの文明をみてよろこびながら、どうじに、かわりゆく時代のために息を吐くのみです。ここさいきんの文明開化は老人の心とくいちがいをおこすものだ、といってもいいでしょう。)

 いいわけをつかってはいけません。自分のするものごとを理由にしてはいけません。はかりごとなどはもってのほかです。

 陰ながらやるようなことならば、ただ自分の胸のうちだけにおさめておくのです。それが無理ならば、わずかに親友に語るのみです。仮にも、できのわるい習慣の持ち主が口をすべらせて他人にいえば、その耳目は2,3人の耳目ではありません。ひとりの耳は、全国3400万の耳とかんがえないといけないわけです。

 秘密にするのもむずかしくなった時代といえます。

 本編第二章のところで、いままでとちがったできごとだとか、いままでにきいたことのない話というものは、都会ですばやくおこなわれ、イナカではなかなか遅々としてすすまない、といいました。

 が、蒸気、電信が着実にイナカにもゆきわたれば、都会、イナカに区別がすくなくなります。そうなれば国のかたちそのものもかわり、あたかも国そのものがひとつの都会のようになる、といわざるを得ません。

 地方の人民といっても、けっして軽蔑してはならないのです。

 上記のものは、たんに私の想像で今後おこりそうな変化を推測したのみです。その根拠をいちいちならべることはできないのですが、じっさい、この変化の力はおおきなものをそなえています。この力の波及するところはきわめて広いのです。

 いまの時代から、この蒸気、電信はだいじょうぶと保証しておいても、べつにあやまりとはならないでしょう。(ドイツでは鉄道をつくったとき、その国じゅうに文字の読み書きができるものが増えたそうです。鉄道と勉強とは、直接かかわりはないのですから、これははかってできた成果ではないでしょうが、成果は成果です。こういうたぐいは、ほかの国にもすくなくありません。けっきょく、蒸気、電信のことをあれこれ予言するのは、人知にはかなわないことなのです。)

 そういうわけで、この蒸気、電信、印刷、郵便のよっつは、開国したときはじめて、西洋諸国から輸入したものです。開国がなければ、私はいまだにこのよっつの利器のことをしらなかったことでしょう。

 世のひとびとは、鎖国がやぶられてペリーがやってきたさい「わが国はじまって以来の一大事だ」といって、みだりにおどろいていました。

 ですが私は、ペリーの来航のことだけをおどろきはしませんでした。

 それ以外はなにかというと、異国人というものは、蒸気、電信のようなものを発明する以前で条約をかわしたのであれば、それほど彼らのために苦労をすることもなかっただろう、ということです。

 彼らアメリカにもしもたいしたことができなければ、たとえ開国をしたところで、むかしながらの海防を、すこしきびしくとりおこなって貿易するのみです。

 そして、もしたがいの関係に不平等があれば、彼らを追いかえしてもよかったでしょう。

 げんに鎖国しはじめのころは、外国人を打ち払ったところで、あちらもおとなしく引きさがっていたのです。

 鎖国がはじまってから、あちらの国はひたすら日々、あたらしい事業で勉強していました。が、こちらは平和に慣れてなまけていました。

 ですが、1800年はじめのころまで、あちらの国がこの日本をしのいで活発なうごきをしめせていなかったのです。ロシア人が北海道であばれておきながら、その地にたいした傷跡をのこせなかったという事実が、それを物語っているといえます。

 ふるいやりかたをするヨーロッパ人にたいしては、こちらもまたふるい方法で応じたところで、わずかにもおそるるにたりません。

 しかし1850年ごろになって、はじめてアメリカ人がわが国にきて通商(ペリーの日米和親条約)をむすばされたのは、なぜでしょう。

 私がこれをみるならば、この通商条約はアメリカ人の力でなされたのではありません。

 蒸気の力によって、この条約が生まれたのです。

 日本は蒸気の力によって国をひらいたことにより、蒸気の力をおもいしらされました。

 そうして蒸気や電信などをわが国にとりいれたのです。

 ゆえにわが国の開国というものは、たんに外国人をうけいれただけではなく、外国で発明された、社会活動の道具もうけいれた、ということになります。

 この蒸気の道具をとりいれて、つかうようになったのならば、この開国というできごとは外国と日本との国交のことだけではおさまらなくなります。

 やがてかならず、日本国を変えていくようにならざるを得なくなるでしょう。

 けっきょく、わが社会は今後、この蒸気文明とともにうごき、どんどんすすんでいくものなのだと身をもってしることでしょう。

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