第五章 今世に於て国安を維持するの法は平穏の間に政権を授受するに在り。英国及びその他の治風を見て知るべし。(1)

 この本でずっといっているのは、政府と人民とはとうてい両立することはできない、ということです。

 文明が進歩するにしたがって、ますます官と民の対立は深まるのです。それはまるで、どちらかを絶滅させなくてはおわらないほどのいきおいにみえます。

 ヨーロッパでさえ国をうまくたちゆかせていくのは、むずかしいようです。じっさい、どこの国も困難なかじとりに四苦八苦しています。

 そんななかで、政治の別世界をひらき、ただしく時勢を読んで、国安をまもっているところはどこでしょうか。

 イギリスこそがまさにそれだ、といわざるを得ません。そもそもイギリス政治の良否については、この地上に批評本の翻訳、もしくは原文もたくさんでているので、ひとびともみなしるところでしょうから、いちいち論じるまでもありません。数百年来、この政治でもって一国を繁栄させたのだから、もとより良政治というべきでしょう。

 こうしてもたらされた結果はとてもよいものですが、私がとくにイギリス政治のいいところとしてみているのは、これまでに積みあげてきた成果ではありません。いまも刻々と文化と文明を進歩させようとし、機転をつねにきかせているところにあります。

 イギリスには政治の党派がふたつあります。

 ひとつを守旧派といって、もうひとつを改進派といいます。

 これらふたつがつねに議会でぶつかりあって、ものごとをつきつめているのです。

 ですが守旧派はかならずしもガンコではありません。改進派はかならずしも乱暴ではありません。むかしからイギリスに存在していたかんがえかたによって、人民のなかから守旧派と改進派のかんがえにわかれただけです。

 イギリスでは人民のなかから良人物をえらんで、議員という地位をあたえて、国事を話させています。

 これを国会といいます。(人民のなかからえらばれたものは下院というところで働きます。上院というものもあるのですが、これは人民の選挙でえらばれたひとではありません。この上院に権力はないので、イギリスの国会で中央をになっているのは、下院にあるといってもいいでしょう。)

 国会とは、両派の政党の議員が話しあう場のことで、なにかあるたびにあつまって、こまかく議論をつめていくところです。たいていみながみなちがう意見をいうので、さいごに指針をきめるには多数決をつかいます。

 内閣の大臣たちも、もともと守旧派・改進派かどちらかに属しています。内閣をまとめる首相は、かならず守旧・改進どちらかの党首をやっているわけです。

 そういうわけで、どちらかの党派の首領が首相につけば、自分の主張をかなえやすくなるのです。政府の全権をつかむのだから、その首相の属す党員たちもみな、高い地位を占めるのです。

 そうなれば、国会のひとびとと国事のゆくすえを話しあってから、その結論をじっさいにおこなうのに、なんのさまたげもなくなります。

 政府に地位をもつとはいえ、国会議員をやめたわけではありません。政府では依然として議員籍はのこっているので、国会では議員として、まるで行政と議院の仕事を兼ねるのです。おのずと勢力もさかんになり、ものごともおこないやすくなります。

 とはいえ、しばらく月日がたってくると、ひとびとの望みもかわってきます。そうなると政府をあずかるほうの党員も、応援するひとびとがすくなくなってきます。

 となると、いままでだまっていたもう一党のほうが権力をもちはじめるのです。その一党のもちかける議題にたくさんの多数決がついてまわれば、それこそが民意そのものだ、とみとめられるわけです。

 ついに不信任決議がだされることによって、首相以下その党派のひとびとはみなついていた高位職をやめて、またもとの党員にもどるのです。

 ただし、政府の地位をおろされてしまったとはいえ、そのまま国会から追いだされるわけではありません。前の首相は一党派の首領のままです。国事にかんして話しあうことは、首相になる前もなったあともかわりません。

 ただ、全権をつかんで試行する力がうしなわれるだけなのです。

 政権のうけわたしは平穏で、その機転ぶりはとてもなめらかというものです。

 たしかに両党は、かんがえかたのちがうものどうしにわかれて、守旧・改進と名前を異にしています。守旧だとか改進だとか、名前をみたかぎりでは水と火のように敵対しているかのようにもみえます。どちらが政権をにぎるかによって、全国の機関もなにもかも一変してしまうようにもきこえます。

 じっさいは、そうでもありません。

 さきほどもいいましたが、守旧はかならずしもガンコなだけではありません。改進もかならずしも粗暴ではありません。どちらもイギリス文明のひとびとで、ゆくべき方向が極端にちがうわけではありません。

 おたがいに対立してあらそっている理由は、ほとんどささいなことです。これを衣服にたとえれば、守旧も改進も、その服装はまったくおなじといえます。ただ裁縫のしかたがちがうだけ、といっていいのです。

 ロシアのように、王室と虚無党とで憎みあうのとはちがいます。むかし日本でも攘夷派と開国派とでわかれていましたが、これともちがいます。いま勉強にはげんでいる読者たちは、日本・ロシアの二例と、イギリス国会の事情をとりちがえてはなりません。

 とはいえイギリスではふたつの党派にわかれ、政権をあらそってたびたび交代するのですから、その交代というのはつまり、旧政府を捨てて新政府をひらくようなものとかわりません。

 この交代劇は、政府の転覆としかいえないでしょう。

 ゆえにイギリスの政府は数年のあいだにかならず転覆する、といいかえてもいいでしょう。この転覆には武力はつかわれず、いたって平和なものです。このことを私は、機転ぶりがなめらかだ、と称したのです。

 上記のわけで、政府の改革がおこるのも、大臣たちの交代がおこるのも、国のようすひとつがきめるわけですが、そこに大臣もひとりの議員として参加し、人民たちの意見を代弁しあうのです。

 まさに公共の場というものです。

 その公共の場で不信任決議がだされ、大臣の仕事をやめさせられてしまったとしても、そのひとはべつに恥じるような必要はありません。そのかわり、大臣職をとられたからといって不平をいだいても、うったえる理由などにもなりません。

 また、旧政府にかわって新政府をひらくにさいしても、この政権を維持できるかどうかなどは、この新政府についた党員たちだけの力でできるものではありません。ほかの力にたよらなくてはならないのです。

 となると、自分だけでやれているわけでもないのだから、この新政府をたててもそれほど栄光におもうには足らないのです。

 それにくわえて、持続年数が5年にのぼる、ということはほとんどありません。平均で3、4年といったところです。

 そういうわけで、やっつけられたほうの党派の不平もまた、3、4年です。やっつけたほうの得意の念も3、4年ぐらいのものです。

 こんなせめぎあいに日常をさらしているのだから、彼らイギリス人の栄辱のおもいなどはひたすら淡白で、その胸には余裕さえあります。そんなわけだから、国のどこかで、どのような新説や激論がおこったところで、彼らがこれをこばむようなことはないのです。

 それどころか、これを積極的にとなえ、これを論じ、これをひろめることで、ひとびとの心をつかんでしまえば、政府はこれに席をゆずるのです。

 イギリスの政府は、そのとき、そのときに応じて、やりかたをかえるわけです。

 それはまるで、永遠にかたちのさだまらない制法をあつかっているかのようです。

 どちらかの政党が権利をにぎれば、そのあいだはその党のやりたいことがやりやすくなり、野党となったほうは、かんたんに彼ら新政府のいいぶんを曲げられることもなくなるでしょう。

 これが、社会が一定しているときの話です。

 ですがひとびとの心は時の流れによってかわってくるものです。そうなれば政府もかえなくてはなりません。「一定」のやりかたも通用してこなくなるのです。

 永遠におなじものなどないのです。

 これをたとえるなら川と水車のようです。

 川が民衆とすると、水車は政府です。

 川の流れによって水受けが水でいっぱいになれば、その重力でまわって、べつの水受けに水がたまります。ひとこぎ、ひとこぎ、水をもちあげてはおとし、水をおとせばまた水をすくうというのですから、その巧妙さは、ほんとうにふしぎなものです。

 もしも、なにかの道具をつかってこの水車の回転をとめ、うごかないようにしたまま川の水にさらしてしまうことでもあれば、たちまちのうちに水車はこわれることでしょう。

 イギリスの政府も、この水車のようなものです。

 1800年代、文明の進歩を早める道具にであいながら、よくそのおどろきに耐え、さらに政治の仕組みもなめらかに対応させたのは、ふたつの政党が一進一退、たちどころに対処してきたため、といわざるを得ません。イギリスだけでなく、オランダ、スイスなども、よく国安を守っています。文明をすすむものというのは、そのための方法にかならずイギリス政治と似たところがあるからです。

 ロシアなどは、水車の水受けを巨大につくって、大滝さえうけとめてやろうとばかりに、自国の民衆たちと戦う姿勢をとっています。

 が、とうてい水車では滝の出所をふさぐことはできません。

 政府のひとびとも、この政略が得策でないとわかっていたとしても、なんといっても専制主義をとおしてきた大帝国なのですから、世間の顔色を気にして自由論にしたがうわけにもいきません。

 けっきょく、この暴政はやむを得ない理由からわいたものです。苦肉の策だといってもいいでしょう。じっさいにあの国で政治をとっているひとびとの苦心をおもいやってあげるべきです。

 場所は東にもどって、アジアの大陸中央部に目をむけてみましょう。国内は平穏で、よく社会の秩序をたもっているようにみえますが、その理由はというと、人民の見聞がせまく、彼らがいまだに文明をしらないからです。

 こころみに、これから中国国内に鉄道、電信を引いて、印刷機械をもちい、郵便法をとりいれたなら、あの国の人民もすぐさま、だまっていられなくなるでしょう。

 あの社会に大震動がまきおこるのことは、知者を待たなくてもあきらかです。

 清帝国の皇帝は、このことをしって文明をとおざけているのかもしれません。そうでなければ、これがいかに便利なものかしらないで、嫌っているのでしょう。

 いずれにしても、一国家が1800年代の蒸気文明をとりいれておきながら、旧政府のやりかたを守りきるなどというのは、とてもできないことです。

 わが日本の徳川政府も、これのためにたおれました。果たして清帝国ただひとつだけが、これに抵抗することができるでしょうか。

 文明をいれなければ、外国からの侵略をうけて国をほろぼすでしょう。文明をいれれば、ひとびとがみなかしこくなり、主権をとなえるようになり、政府のむかしのやりかたをことごとく転覆していくでしょう。

 かならず、どちらか片方をえらばなくてはなりません。後世のひとびとは、あの国がかわるのをみるでしょう。

 以上、書いてきたところによると、イギリスの政府を改革するのも、また諸大臣をきめていくのも、すべては国民がきめることだ、ということになります。となればそれは、国王はあってもないかのようで、国民はみな国王を見下してかえりみるものがないのか、という話にもなりそうですが、けっしてそうでもありません。

 王室を尊敬するのはイギリスの気風です。どのような自由党の激論家でさえ、王室の尊厳を攻撃するものはいません。

 公然と、ひとびとのきく前でいわないだけではありません。その本心にさえ、王室のことを悪くおもっていないのです。

 つまり、ものごとに寛容なひとびとといってもいいでしょう。

 フランスやほかの国では、自由主義による革命といえば、たんに国王を攻撃することを意味し、王権回復といえば人民の権利をとりあげることをさします。

 これとイギリスとは比較になりません。

 もとより、ひとびとを治めるときには、習慣がいいか、わるいかによって寛大な法かそうでないかをきめるべきです。

 ためしに、下等社会の家族をみてください。そこの子どもはみな頑強で、かんたんに年長者の言葉にしたがいはしません。ひととあうときにも、つねに粗暴な言葉をつかって、はなはだしいことには腕力で脅迫することさえあります。父母もまた、そんな子どものために、みずからその子をたたくものもおおいのです。

 上等家族の子どもが、両親の喜怒哀楽ひとつで、自分もよろこんだり悲しんだりするのにくらべれば、はなはだしい相違というものです。

 そうなる理由はなんでしょう。

 ただ日々の家風のためです。

 上等家族の親子はよくまじわりますが、たがいの不必要なところにまではせまりません。おたがいが親しんで、それでありながら踏みこみすぎないのです。親しき仲にも礼儀あり、です。

 いまイギリスの王室と人民とのあいだは、この上等家族のようなものです。むかしから、おたがいの領域に踏みこむようなことがなかっただけではありません。心根のなかまで、すっかり相手を侵犯することをわすれているのです。ひとを侵犯しない国王はますます貴く、侵犯しない人民はますます親しくなるのです。そうやって社会の秩序を守るのは、人間最大の美事といえます。

 文明はやはり大海のようなものです。

 大海というのは、細い川も、おおきな河も、清らかな川も、濁流も、どのようなかたちであってもこばむことなく、ただちにうけいれます。

 そうでありながら、ほんらいのかたちをそこなわないのです。

 文明というのは、国の主君はもちろん、貴族をうけとめ、まずしいひともあずかり、お金持ちをとどめ、良民も頑固な民もまとめてとりこんで、清濁剛柔、このなかにうけいれられないものはありません。

 これらをつつみこみながら、けっして秩序がみだれることがなく、しかもさらにすすめていることを、文明というのです。

 そこでひるがえって日本の話です。

 とるにもたらない世のなかの小心者が、ひとたび「天皇を国長におす」という趣旨に酔っ払えば、自由論を敵視して、その文章すら忌み嫌うようになります。かとおもえば、自由主義にかたよったひとなどは、天皇や貴族を無用のもののようにおもっています。

 一方が、身分を親から子へ伝承する制度(門閥制度)をいっさいやめてしまうべきだ、といえば、あちらのほうは民権はすべてとどめ、なにもかも目上のものがきめるべきだ、とかえします。

 なんとも混乱のはげしいことです。

 おたがいがものごとを極端にすすめようとしあって、わずかにもゆずることができないでいるようです。まるで、潔癖症の人間が手のホコリをタワシでこすってやめないかのようです。

 そのおろかさかげん、わらうべきです。その心、あわれむべきです。

 ですが、私たちは彼らを対岸からあわれんでいるだけではすみません。

 世の中が乱れるときは、たいていこういう人が火種をおこしてしまうものなので、この点についてみれば、おそるべきものといえます。

第五章(2)へ