第五章 今世に於て国安を維持するの法は平穏の間に政権を授受するに在り。英国及びその他の治風を見て知るべし。(2)

 さきほどもふれた、イギリスの政権がつねに交代しながら平和をたもっていられる理由をもうすこしくわしく説明するには、まずいまの人類の心をよくわかっていなくてはなりません。

 第一。

 ながいこと手元にあるものを無価値におもい、みたことのないものをおもしろがるのは、人間の心情です。

 いつも山に住んでいるひとは、たまにみる海を新鮮に感じます。海の水平線ばかりをみているものは、いちどは山をみてみたいものです。

 衣服、飲食、住居、しばらくおなじものをつかって慣れてくると、新しいものがほしくなってくるのです。

 時間が流れ、めぐりめぐってみると、ふたたび旧時代のものをみることもあるでしょう。しかしそういうものとは、しばらく絶えてみることのなかったものなのだから、若いひとからすれば新しくみえるわけです。

 衣服、首飾りの流行のようなものがそうです。年々新しいかたちがでてきますが、流行の作り手たちも、工夫にこまったときには、また数年前のかたちにもどって、逆に新鮮にみせることもおおいのです。

 となると、ものごとの良し悪しは、そのものごとの性質にはなく、私たちの心情がものごとの良し悪しをきめる、ということになります。

 客観的なものではなく、主観的なものです。

 いま、一国の人民が政治をみる心もまた、おなじようなものです。

 かならずしも民衆の要求は、いまの政治の善悪だけにかかわってもいないのです。いまを否定するのは、たんにむかしながらのものを嫌って、新しいものをみたいから、というのもあるのです。

 年がら年中世界がおなじかたちで、社会に事件なく、政治界に降格も昇格もなく、なにもかもつねにかわらず、この世のしずけさをみなすわって傍観し、はじっこのない輪をめぐるようにおなじ日を暮らす、というのは人間にはとうていできないことです。

 第二。

 いまの社会で、一国をうごかす政府の立場というのは、人間のもっともやってみたい仕事といえます。

 世には芝居をこのむ人物はおおいものです。女性たちはとうぜんとして、学者や道徳者のようなひとにいたるまで、みながみな芝居をよろこぶのは、この芝居というものに、みるべきたのしさがあるからです。

 そうとはいえ、そういう観客たちのなかで、もっともこの芝居をみてよろこぶ職業のひとがいます。

 この芝居の作者当人です。

 作者は数日前から筆をとって、家に引っこんですわりこみ、心に工夫をめぐらせて、「どこそこの国のおろかな君主が、コレコレこのようなぜいたくをやりこんで、どういった宝物をどこにおさめていたが、コレコレこういう理由でなくしてしまったから、それをさぐっているあいだに、心を留める美人が薄命に死に、信用していた忠臣がおちぶれていくありさまをみて、ひたすら残念におもうが、さいごには幸福におわる」と、心のなかに登場人物の生死、禍福のすべてを想像して、それをひとつの舞台でじっさいにかたちにするのです。

 そうしてひとびとの喜怒哀楽を自由にあやつるというたのしみは、たとえられないほどのものでしょう。

 いまの政府の行政もまた、作者と役者を兼ねたものといえるでしょう。

 社会でおこなわれているものごとはすべて、だれかが想像したことが、じっさいにおこなわれていることなのです。

 去年、ぐうぜんひらめいたおもいを議定して、これを施行して、今年にはおこなうのです。それで一千万人の喜怒哀楽をあやつるわけです。きょうのものごとをみて、かんがえるところがあれば、あしたからその改革に頭をなやませ、成功をこころみるのです。

 まるで一国が劇場のようです。

 ひとびとの幸福や不幸をあつかうことなら、だれがこのことを愉快におもわないものがいましょうか。

 一舞台の作者にもすこしばかりのたのしみはあります。社会の実劇をいろいろと工夫して、実行するのならばいうまでもないでしょう。

 人民が熱心に政治に参加したがって、その地位を社会最上の地位とかんがえるのも、いわれがないわけではないのです。

 みながみな、これを社会の好地位とかんがえるのならば、じっさいにその好地位についているものは、よそからみると、まるで宝をだいているようなものです。横からこれをみて、うらやむのもまた、いまの世界の人情というものです。

 第三。

 他人の宝をみてうらやむ、というのは人情の常というものですから、とりあえずどうこうはいわないでおきましょう。

 が、ここで凡俗のひとびとの心をさぐってみると、ひとにいえないような悪念をみることができるでしょう。

 それはなにかというと、相手を損させてやろう、というおもいです。自分の利益になるかどうかなど、関係ありません。

 あそこのひとの立場をうばいとって、自分のものにしてやろうという野心ではなく、あそこのひとがたおれれば自分の心がなぐさめられるだろう、という悪意の念です。

 おもえば、うらやむ心というのは、自分のありさまもああなればいい、と、他と等しくありたいとねがう心のことをいいます。

 が、自分に利益もないのに、ほかのひとを損させてやろうとする心というのは、うらやむ心からきたのではなく、嫉妬心からきたものです。

 うらやむのとねたむのとでは、ぜんぜんちがいます。まちがえてはなりません。

 たとえばここに、まずしいひとの家と、富んだひとの家がとなりあっているとしましょう。

 まずしいひとの家にいって本音をいわせたら、こうなります。こちらの貧乏をあちらの富ととりかえたい、だとか、こちらが金持ちになってあちらと対等になりたい、というのは、もとよりねがってやまないことでしょう。

 ですがその貧乏なほうが、もしも富を手にいれて対することができれば、その金の力をつかってとなりを貧乏にして、ふたつの家で貧乏におちるのも、おもしろいだろう、などというようになります。

 きわめて卑劣なかんがえかたです。とても道徳をもつひとが口にだしていいものではありません。

 とはいえこれは、いまの凡俗世界の事実として、まぬがれることができるようなものでもありません。

 火難、水難、愛児をうしない、良縁とわかれるなどというのは、どれも人間最大の不幸というものです。その不幸を味わったひとが、おなじような不幸を身にうけた人物とであって、ともに話しあえば、その心はまるで符合するかのように共鳴します。

 これが俗にいうところの、悔やみ話に花が咲く、というものです。こうなればおたがいが親しむでしょう。同情相憐れむ、とはこのことです。

 同情相憐れむという言葉が真実なのだとすれば、逆にいえばこうなります。

 あちらが幸せなのに、こちらが不幸と、状況がちがうものどうしが顔をあわせれば、相憐れむおもいは生まれない、ということです。それどころか、かえって嫉妬をおぼえるのです。

 この嫉妬心がみたされるときとは、自分に利益のあるなしにかかわらず、相手が損をして、いっときだけ平均の立場にたったときです。

 一国の政権をにぎって、おもったことを議定したり施行したりするのは、俗世間からみれば、もっとも栄誉とする仕事です。世俗から政府のひとびとをみれば、まるで無上の幸福をあじわっているようにみえるわけです。

 となれば、うらやむだけにおわらず、ねたむ心情もわいてきます。

 こういう俗人たちの気もちなど、いちいち疑念をもつまでもありません。

 社会において、よい地位についたことのないひとがいるとしましょう。貧乏人、あるいは無地位に慣れているひとのことです。

 彼らがなにかの拍子に、いちどだけ富を手にしたあと、すぐさまもとの貧乏地位にもどると、どうなるでしょう。

 生涯その幸福時期のことをわすれられず、たびたび危険なことをするようになるでしょう。

 もうひとつ例をあげると、ここに難破で船をこわしてしまった船長がいるとします。彼はかならず海にもどろうとするために、無理な金策をめぐらせて、粗悪な船でもなんとかしてたちあげて、あちらからこちらに物品を売りさばいて富をきずくとしましょう。ですがそののちになにか失敗をして、ふたたび財産をうしなってみると、また無理な運用をしておなじ商売をはじめるのです。

 政治の世界でも、これとかわりません。社会のなかでもっとも危険な人物とは、かつて好地位につきながらこれをうしなったものです。

 日本でいえば、免職をうけた役人もそうですが、全国にくすぶっている士族たちがこういうひとびとです。こういう種類のひとびとは、世界でもはなはだおおいものです。

 いまも彼らは、政府に自分の地位をきずいて、いまの政府のものと交代したいとのぞんでいます。交代できるような立場になくなってしまっていても、政府に交代劇でもおこって、だれかが地位をうしなってしまうようなことでもあれば、ひそかに愉快をおぼえるのです。

 ひとびとにそういう感情があるわけですから、政府が改革されて人員がいれかわることをきらう人物というのは、あまりいません。むしろ、のぞんでやまないほどです。

 いまの世界の人情で、改革はさけられないことではないでしょうか。

 第四。

 おのれの身にはわずかにもかかわりのない、わずかにも利害のないところでも、無意味に他人の苦労をみてわらう人物は、すくなくありません。

 人類以外の動物にたいする、いわゆる無益の殺生というのもこれです。

 ひとはこれが無益なことだとわからないわけではありません。

 ですがその無益をこのむのを、どうすればいいのでしょう。

 また、これがいまの世の人間の人情なのか、動物だけでなく、おなじ人間にも無益をはたらきます。にわか雨にひとがあわてるのをみてわらい、旅人が犬にほえられるのをみてわらい、堂々とした武士が落馬するとわらい、きれいな女性が車からおりそこねて醜態をさらしてわらうなど、当事者たちにとっては無上の不幸なのに、どれもみな傍観するひとの一興になるのです。

 なおはなはだしいのは、ひとの家が燃えるのをみるものです。

 ひとの家が焼け、財産が燃え、そこに住む老若男女が、うろたえて逃げまどうそのありさまはじつに気の毒で、一生の大災難というべきものです。

 ところがこれをとおくから見物しているものは、さして同情をもたないのです。古来より、対岸の火事をみてたのしむものはいても、泣くものがいたのをきいたことがありません。

 そればかりか、出火ときいて見物にいって、すぐに鎮火すれば、かえって不平を顔に出すものさえいる始末です。

 人間の心理をみてみれば、おどろくのを耐えねばならないほどです。

 この心理がはたらくのは、羨望の心のせいでも、ねたみの心のせいでもありません。

 ただ、いっときの祭でもみたい気分が引きおこすのです。世間より、むかしからつづく事実としてあるのですから、これを一種の人情といわざるを得ません。

 京都の俳人に桜井梅室というひとがいました。そのひとは「愛相に、もひとつころべ雪の人」という句をつくっていますが、人間の心理をよくうつしだしているものでしょう。その意味ははなはだ深いものです。

 ゆえにこれは、人間の感情が渦まく政府の改革についても、いえるのです。この改革にわずかにも利害のおこらない場合でも、政府当事者が交代劇をむかえて失職でもすれば、まるで人民はそれを落馬のように、落車のように、雪にすべったひとのようにみて、一興を満たすのです。それをみてわがことのようにかなしむのは、老成しきった勉学者か、もしくは政府に直接間接にかかわりがあるひと以外にありません。

 おおくの庶民たちにとっては、これをよろこばないものはないのです。

 憤るべきことにみえますが、このおもいこそが政府の独裁、永続をさまたげ、改革をすすませる原因となります。

 以上、例をあげていったわけですが、ひとびとが、政府が改革されるのをこのむのは、いたってふつうの人情といえます。とくに1800年代、文明進歩のさいには、そのすさまじさは日を追ってますますはげしくなっているようです。

 一定不変の政治にしたがい、政府をやりくりしている国があったとしても、それはたんに1700年代の文明とたまたま遭遇しなかっただけです。その国はなにもしらない国民ばかりで、かしこい君主がひとりで政権をやりくりして、万民を統制、だいじにそだてているときだけです。

 いまの時代では、たとえどれほどにかしこい君主であっても、文明の波風に耐えるのはかんたんではありません。

 いまのロシア皇帝アレクサンドル二世がそれです。

 彼は天性の才能、知恵の高さ、その上うけてきた教育もふつうではありません。欧州諸国の帝王とくらべても、けっしてゆずるところのない人物ですが、その彼が政治にこまっているのは、前章でのべたとおりです。

 君主が政治にかかわらないイギリスのようなところともなれば、いうまでもないでしょう。

 国の平穏をたもつ方法は、ただひとつです。ときの流れ、ひとののぞみにしたがって、政権の場所をずらす方法だけです。

 さきほどから私がうるさくいっているこの事実は和漢古今、いまだにひとがいっていないことです。が、これを明言するひとが表だっていなかっただけで、じっさいには古来の歴史のなかで、そこらにおこなわれています。

 暗に論じている形跡もあります。「栄華ひさしく居るべからず」とか「功成り名遂げて身しりぞくは天の道」とかいうのは、功績をだして調子づいた官吏の私利私欲をいましめるための言葉といえるでしょう。

 古代の和漢といまの西洋諸国をみくらべてみると、その社会のなりたちはまったくちがうものです。

 いまの西洋では、ひとつの頂点にたつ政党をどうするべきかを論じあいますが、古代の和漢ではひとりの頂点にたつ実力者のことを論じあいます。

 その論じあいをつぶさにながめて、論を吐いている彼らの心をよくかんがえてみましょう。けっきょくは、政権があるところ、ひとつの場所にさだまって永遠不変とあるときには、かならずいろいろな故障が生まれて、わざわいが生まれるから、こういう論じあいも生まれる、というのにほかならないのです。むかしからいまにいたるまで、そういうところが一致していることをおしはかってください。

 また、国家が生まれて、なにかとやることがおおいときには、かしこい君主、かしこい大臣が力をあわせて国事を整理するものです。その大臣がしばらくその役職にいて、よく君主を補佐すれば、おおく名声を得る、という例もすくなくありません。

 ですが平穏無事の天下に名臣が10数年ものあいだ、高い地位にいつづけたというのは、歴史をみわたしてみても、きわめてまれです。

 武勲をあげて高位に座した老臣で、唐にいた将軍の郭子儀や、裴度のような人物は、政治機密にかかわろうとしなかったので例外です。純粋な文官で、天下の政権をにぎりとりつづける、というのはほとんど無理です。もしも無理矢理にでもこれをにぎりつづけようとすれば、かならず奸悪の呼び名をうけることになります。

 たとえば唐の李林甫というひとは、節度使といって、一地域の軍団を統率する職があったのですが、それに異国人を任命したことによって、混乱をまねいています。

 宋だったら秦檜というひともそうです。彼は金の国と和解をもうけたのはいいのですが、のちには世間でささやかれている論調を片っぱしから鎮圧していき、けっきょく悪い大臣といわれるようになりました。秦檜のしでかしたことは、外国づきあいのことになるので、ほかの日に論をゆずるとします。

 いまは李林甫が悪名を高めた理由をかんがえてみましょう。

 古今の史論をひもといてみると、彼の罪はひとのいいたいことをふさいで、かしこいひとを嫌い、しばしば投獄をおこなって、無罪のひとを害してきた、と書いてあります。この史論を書いてきたひとは、おもに林甫の心の邪悪さを憎んでいるようです。

 私もまた、論者とおなじ意見をもつので、けっしてこの罪人に味方するつもりはありません。

 ですがひそかにかんがえてみれば、林甫がひとの主張をふさいで、しばしば大獄をおこしたのは、その性格が陰険で、ひとをくるしめて愉快をおぼえる人物だったから、というわけではありません。大臣の地位を守ろうとして、やむを得ず、あのような残酷なことをおこしたのです。

 この李林甫の生きていたころは天下泰平がながくつづいていて、意志をもった勉強者、論客たちはまるで平和にくるしめられるかのように、ほとんど身をおくところがなかったのです。

 そのさなかに、林甫がひとりで全権をにぎりしめて、大臣について19年とあるのです。これをうらやまないものがあるでしょうか。これをうらやみ、これをねたみ、激論をけしかけて、林甫を攻撃したものもあるでしょう。あるいは陰謀をくわだてて、林甫を失脚させようとしたものもいるでしょう。はなはだしいことには、暗殺をおこなうものもあったでしょう。

 この人心をおとなしくさせるには、すみやかに林甫が辞表をしたためて、官職からとおざかるべきなのですが、林甫はここにきて、まったくはばかるところもなく、傲然と官位にいすわりつづけたのです。これは陰険ではなく、頑固といっていいでしょう。

 ゆえに林甫の罪というのは、高位をむさぼったことにあるのはたしかなのですが、そのときの残酷無比の所業は、けっきょく自分の位を守る方法だったのです。

 仮にも、自分の位を固めようとおもえば、ひとをたおさなくてはなりたたないのです。ひとをたおさなければ、すなわちひとにたおされるのです。このふたつのうち、ひとつをえらばねばならないのです。

 あるいは才能のほどが林甫におよばない人物でも、林甫とおなじ権威を手にして、19年の歳月のあいだ、ずっと官位を守りとおそうとすれば、おのずと林甫の策をかんがえるのです。

 なりゆきがおこすところで、ひとの罪ではありません。当人のためにも得なことではなく、社会のためにも不幸なことというものです。

 私は子どものころ、和漢の歴史書を読んでいて、おもしろくないとおもったところがあります。

 すばらしい名臣でも、しばらく高位についていると、やがてしりぞけられ、これまた名臣がこれにかわってとるも、やはり長居はしません。歴史のどこをみてもこの調子です。

 ほんとうに、靴の上からかゆいところをかくような歯がゆさといえます。ときには歯ぎしりさえして、巻物をなげだして怒りだすこともありましたが、いまになっておもえば、その名臣たちが高位にいつづけなかったことこそが、名臣のゆえんだとかんがえつきました。

 李林甫のようなものも、大臣を2、3年でやめておけば、あるいは唐時代の名臣にかぞえられて、後世の歴史家たちに惜しまれていたかもしれません。ざんねんなものといえます。

 古代のように蒸気のなかった時代さえこのありさまなのです。いまの活発世界ならばいうまでもありません。1800年代にはいってからというもの、ますますその勢いは強くなっているのです。

第五章(3)へ