第五章 今世に於て国安を維持するの法は平穏の間に政権を授受するに在り。英国及びその他の治風を見て知るべし。(4)

 ただし諸藩の事情は複雑なものなので、これを調査するのはきわめてむずかしいことです。ちかごろさいわいにして、徳川幕府の老中の在任期間を書いた御老中御勝手方(ごろうじゅうごかってがた)年表を手にいれたので、これを下にしるします。

就任年月日 在職期間 老中の名
宝暦12午年12月 16年7ヶ月 松平右近将監
安永8亥年7月 2年2ヶ月 松平右京太夫
天明元丑年9月 5年10ヶ月 水野出羽守
天明7未年7月 2年5ヶ月 松平越中守
水野出羽守
寛政元酉年12月 2年8ヶ月 松平越中守
寛政4子年8月 11年4ヶ月 松平伊豆守
享和3亥年12月 2年4ヶ月 戸田采女正
文化3寅年4月 10年6ヶ月 牧野備前守
文化13子年10月 1年4ヶ月 土井大炊頭
青山下野守
文政元寅年2月 16年 青山下野守
水野出羽守
天保5午年2月 3年1ヶ月 大久保加賀守
松平周防守
天保8酉年3月 6年6ヶ月 水野越中守
天保14卯年閏9月 10ヶ月 水野越中守
土井大炊頭
真田信濃守
天保15辰年7月 16年5ヶ月 阿部伊勢守
堀大和守
万延元申年12月 以下、慶応3年にいたるまでの7年間は混乱して
いたこともあり、幕府の仕事は多忙きわまりありませんで
した。老中の就任、罷免(ひめん)もほとんど尋常(じんじょう)ではなかっ
たので、その在職期間は略
します。
安藤対馬守
水野和泉守
松平豊前守
板倉周防守
松平紀伊守
松平周防守

 宝暦12年12月から慶応3年にいたるまでの105年間、御老中御勝手方の在職者は20人ありました。

 彼らの平均在職期間をわりだしてみると、ひとりにつき5,25年といったところです。

 安政の大獄のすぎたころ、つまり世がみだれにみだれた1860年以降(上の表でいえば万延のころです)、安藤対馬守からつづく6人のことはのぞいて、宝暦12年12月から万延元年11月にいたるまでの98年間をながめてみると、在職者14人のうち、ながい在職期間では16年7ヶ月、みじかいものでは2年2ヶ月、天保14年から15年には、たかだか10ヶ月のものもいます。

 が、この職についていた3名のうち、水野越中守は天保8年からずっと役職をつづけていたので、じっさいは7年4ヶ月いたことになります。

 また、この14人のうち、10年以上在職していたのは5人で、5年以上在職していたものは7人です。この総数を98年でわってみると、ひとりの在職期間は7年ちょうどとなります。

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