蒸気、電信、郵便、印刷はこれからもっとも重要になる道具だ、ということを前章でのべました。この利器をつかうのが上手なひとは、強い権力をにぎることができる、ということも話しました。
そうして、この利器をつかって得をするのは保守主義者か、進歩主義者か、どちらなのでしょうか。
この蒸気の力をつかって、保守主義者が利益を手にする量は、進歩主義者が利益を生みだす量にはとおくおよびません。
もとより政府のようなものは、性質上どうしても保守的にならざるを得ません。ですがもともと、この政府というものは、社会のなかで知力にとぼしいものがあつまってできたものではありません。
利器を利用していないのではありません。よくつかい、よく活動させていることがおおいぐらいです。
ですが、けっきょくこの蒸気の力の特徴をかんがえてみると、とどまって守るもののためにはさしたる効能はありません。うごいてすすむものには、おおきな力をさしのべる、といわざるを得ないのです。
いま、世界じゅうの政府に、文明を進歩させることをいやがるものはありません。
この世に目新しく、そして便利な発案や道具があれば、かならずこれを採用してやろう、とかんがえているわけです。
ですが第二章の五条でいったように、政府最大の仕事とは、いまの秩序を守ることにあります。
そのために、ひたすら慎重をとおして、世のなかが進歩に走っているさなかも、ひとり勇退し、注意深さをたもっていなくてはならないのです。
これをたとえてみましょう。
政府も人民も、順風のさなか、ひとつの場所にむかって帆をあげて走る船のようであるといえます。
が、政府の船は絶好の順風のなかにあっても、船の荷量をかんがえ、天候を予測して、危険をおかさないように、たびたび港に停泊をするのです。あるいは、速くすすんだり、おそくすすんだりもします。はなはだしいことには、順風がふくのをしりながら、すすまないこともあります。
これに反して人民の船はちがいます。
ただ一方向にのみすすみ、前もうしろもあまりふりかえらないのです。彼らと政府をくらべると、どちらが速いかはっきり区別できるでしょう。
順風がふくときでさえ、こういうことになるわけです。
そんな状況の上にいま、蒸気、電信、印刷という名前の、さらに強い風がこの帆船におくりこまれるようになったのです。この風にのせれば船はさらに速くなります。
そしてこの風を利用するのは、直行、急進をよろこぶ人民だというのは、あきらかです。
ですが人民がこの蒸気をつかいこなして有利に事業をすすめようとするさい、いまの世界諸国では、たいてい官民の不仲も生みだすこともおおいようです。
たとえばここに、名声の高い学者が、一冊の雑誌をつくりあげたとしましょう。そうして演説会をひらいて、目新しい説をとなえでもすれば、その説はたちまちのうちに社会すべてに伝わって、すぐさま人心をうごかすことにもなるでしょう。
ひとびとは熱心に話をきく性質をもっているのが常というものです。
が、慎重を守る政府からすれば、かんたんに人民とおなじ反応をとることはできないのです。
これこそが自然の流れというもので、官と民の立場をへだてる理由です。
1700年代、いまのように思想を伝える道具(すなわち蒸気、電信、郵便、印刷)はじゅうぶんに役にたっていませんでした。
たとえ民間にいかなる新説や名案があらわれても、それが伝わるのはおそかったのです。
それを利用して、政府はゆっくりと政略をすすめていました。都合のわるい話ならば、弾圧すればすぐにしずまりもします。
ですがいまの情勢はそうもいきません。人民の心は蒸気の道具をあやつることで、あっというまに行動力を高めていきました。心は波のように、情は海のように、ひたすら流れ流れて、ゆっくりな政略など、この流れの前ではちりぢりとなるのです。
かつてはちいさな種火が生まれれば、弾圧してやりすごしていた政府ですが、いまではかんたんにひとの心は大火となります。これを弾圧するにはそれ相応に力が必要です。
官民のせめぎあいは、強くなるを得なくなったわけです。
「文明開化がすすめば、ひとびとはみな道理に目ざめ、社会はすこしずつしずかになっていくだろう」といったような説を、ちょっとしたときに学者の口からきかされることがあります。
しかし、けっきょくは漠然とした妄想で、わずかにも証拠はありません。
いまのものごとの進展ぶりを観察してみて、いまのことを文明開化と名づけるのならば、けっしてそうはいえません。進歩するにしたがって社会のさわがしさは、さらにはげしくなる、といっておきます。
人民はすでに高速ですすめる道具を手にいれました。
この力をつかっているさなか、ふと、政府のうごかないありさまをかえりみると、その鈍重さかげんにいらだちをおぼえ、政府を軽蔑することもあるでしょう。(たとえば日本の政府においては、いまもまだ旧幕府のやりかたがのこっています。政令は記録係によって、御家流という特殊書体で書かれています。監察係の触れ書きがイナカにとどくのは発令がだされて時間がたってからです。年をまたぐほどにおくれた理由が、未開の山川を越えるのに時間がかかり、通行がおもうようにいかなかった、というわけです。人民のよびだしをうければ、それに手紙でこたえます。農民代表をともなって役所までおもむいたところで、ちいさなことなのに丸一日かけてしまうのです。人民は政府の仕事のおそさをみて、わらわないものはないでしょう。今後、鉄道がいたるところに敷かれ、ひとの社会が活発になれば、いまの政府の仕事ぶりはさらに耐えがたいものになるのは確実です。200キロの道を2時間で走って裁判所におもむきながら、だまってすわらされて3時間待たされればつらいでしょう。鉄道さえあれば、日本をめぐるのに三、五日をついやすだけでいいのに、旅行の願書には区戸長の印鑑と、
地方庁の手にわたってから十数日かかってからようやく受諾とあれば、これもまた耐えがたいでしょう。こういう例をかぞえれば、いくらでもでてきます。勉強しているものは、自分たちでおのおの、これを想像してください。)
政府を軽んじ、政府をあざけり、敵視して、彼らのやりかたをすぐさまあらためようとするようすは、まるで人民が政府を圧しているかのようです。
政府はこれにたいして、かえって力まかせに抵抗せざるを得ないでしょう。
抵抗の方法には専制抑圧しかありません。これを執政者の英断といいます。
フランスのナポレオン3世にしても、さいきんのロシア、ドイツも、その政略をみてみると、すこしずつ専制にかたむいているようです。
人民の見聞がとつぜんひらかれて、心と思想が強まったのが原因であることは、まちがいないようです。あるいは1800年代に生まれた蒸気、電信などが、政府の専制をうながしてしまった、といってもいいでしょう。
たしかにそうなのですが、この専制というものが、果たして人民の運動をすべておさえてしまえるか、ということには疑問がのこります。
私はこれにたいして、人民のいきおいをとめることなどはできない、といわざるを得ません。
それはなぜかというと、けっきょくのところ政府の専制というのは、むかしのやりかたにすぎず、したがって予測の範囲を超えません。それにたいして人民の進歩には無限の可能性があるのです。
たとえば政府が専制をあつかうために法律を都合のいいふうにあらためるとしましょう。監視を強めて禁止法を数おおくつくり、書記や演説をしてはいけない、といってまわるわけです。
この手段はいずれも陳腐です。
たしかに陳腐ですが、とりあえず直接効果をあらわして、人民の口をふさいでしまえるかもしれません。が、それは表むきの話だけで、じっさいには人民はいくらでもこれをかいくぐるのです。
どのような強大政府といえども、その専制がじかに蒸気、電信、印刷、郵便の力をおさえようとしても、さしたる効果もだせないのです。
いまの世界じゅうの政府は、人民を制御してやろうとするときには、人民以外のものもあやつる気でいなくてはなりません。つまり、蒸気や電信とたいするむずかしさも、覚悟していなくてはならないのです。
こころみに、そこをとんでいる蝶をみてください。
蝶がまだイモムシであるころには、どうするのも自由自在です。指をもってつまむこともできます。ハシではさむのもたやすいのです。あるいはイモムシの醜さを嫌って、足でふみころすこともできます。
が、いったん蝶として生まれかわると、ひるがえり、とびまわって、人間の手足にはとらえられなくなります。花にたわむれ枝に舞い、
ですが羽はすでになっています。この蝶をどうにかすることはできないのです。指でつまむことはできません。ハシではさむこともできません。
いま、この進歩世界のひとびとが思想をおもいどおりに千里を走らせる道具を手にいれたのは、人体が翼を手にしたようなものといっても差しつかえないでしょう。
1700年代の人間はイモムシで、1800年代のひとは蝶です。
イモムシをあつかう制度や法律で蝶をとらえようとするのは、むずかしくはないでしょうか。
ゆえに、いまの世界の諸政府が、すこしずつ専制の政治にかわっていくことはやむをえないのですが、とうていその力で人心をおさえられそうにはないのです。
両者の人間のおこないがぶつかりあう、というのは、物理学の作用・反作用に似ています。作用・反作用とは、自分がくわえた力は、そのまま自分にかえってくる、という法則のことです。壁にとび蹴りをすると、その体がもどってくるようなことをいいます。
人民が100の力をつかって政府を押せば、政府もまた100をつかって応じてきます。手をつかって頭をたたくのは、頭をつかって手をたたくのとおなじことなのです。
頭を打つのがはげしければ、すなわち手が打たれるのもまたはげしくなる、ということです。
政府も人民も、いきおいづいてどちらかを圧することがはげしくなれば、もう一方もまた、強い姿勢で抵抗せざるを得なくなるわけです。
1870年にイギリスで刊行の、エッカート氏によって書かれた「ロシア近世史」をみてみると、こうあります。
「ロシアの文明開化はピョートル大帝のころからはじまっているのに、いまだに国土の内陸部分には伝わっていない。ただ西洋諸国に面している国土のところだけが文明が高いというありさまとなっている。内陸ではあいかわらず、むかしどおりの専制政治をもちいて人民をあつかっているのである。
それで、さしたる弊害もでていないのだ。
1825年から1855年までは、ニコライ一世が在位してロシアをとりしきって、つぎつぎに法律をつくりかえていった。まずドイツ、フランス、イギリスの良書を読むことを禁じた。もちろん、その国ででまわっている雑誌や新聞紙も、である。
皇帝ニコライの許しを得て、なおかつ500ルーブル払えるものでなければ、外国におもむけないようにした。外国の技術者や学生たちなどには、ロシア国内のどのようなイナカにはいることすらも禁じてしまった。ひとつの大学には、監視のために、300人以上の生徒数にしてはいけないことにした。
有名な論説や教科書を読む人物はつかまえた。理論学をおしえたり、ふつうの法律を論じたりすることも禁じた。学校の生徒はみな、まるで軍学校の生徒とみなされて、ふつうの学術をおしえられることはない」とありますが、これは
ロシア皇帝というのは、どれもはじめのピョートル大帝のように、豪気の上に正直、質素なことを理想とする人物のようです。
彼らのおこなう専制はピョートルをはじめとする皇帝家の血筋のせいでしょうが、ピョートルほど臨機応変がうまくできているものはいません。
ピョートル大帝はしきりにヨーロッパの国々(イギリス、フランス、ドイツなどのことをいいます)の文明を慕っていました。ヨーロッパのものごとをとりいれ、ヨーロッパの学者をまねき、自国のひとびとを無理にでも遊学にわたらせもしました。ピョートルの成果からひととなりを判断すると、彼はヨーロッパの文化を慕ってやまない人物だったといえます。
それなのにニコライ一世になるとどうでしょう。なにもかも反対で、まさに文明のことを敵視しているかのようでさえあります。それはなぜでしょう。
ぐうぜんでおこったのではありません。
保守と進歩が、ぶつかりあってしまったから、こうなったのです。1600年代のピョートル大帝は、人民を進歩主義に押しだした人物です。1800年代のニコライ帝は、そのピョートルの力で進歩した人民にこまらされた人物です。政府が感性ゆたかになった人民のあつかいにこまるというのは自然の流れというものですが、進歩、保守のぶつかりかたにもよれば、さきほどの「ロシア近世史」のように、ひとびとは文明をしらされず、ひたすら
いまから、さきほど引用したエッカート氏の「ロシア近世史」のおおよその意味を翻訳して、当時のロシアのようすをしめしましょう。