日の沈む少し前、遠くから、鐘の音が時を告げていた。
「……」
ひとり、河原にしゃがみこんでいたアズマは、自らを四方から囲う薪に、宿でもらった提灯の油を、少しずつこぼしていた。
それから、脇に置いていた、赤熱に爆ぜる薪をつかむと、それぞれ残りの三方の薪にもまた、その火を移していく。
それはもはや、何かの儀式でも始めている風にしか見えないからだろう、そのさまを、河原に住む、ぼろを着た人々がひそひそと小声で話しながら見守っていた。
「よし……」
アズマはそう呟くと、鞘におさめた刀を抱えて、火のついた四つの薪の真ん中にしゃがみこんだ。
そうして、暮れに傾く夕日を、名残惜しげに、引き留めたそうに眺めたまま、アズマは来たる夜を待ち受ける。
「よし、じゃないだろ」
その時、背後から、聞き覚えのある声がかかった。
「!」
アズマはとっさに、ボロボロの刀を抜き、そちらへ向けて構えた。
だがその構えは、形こそ整ってはいたが、力みすぎて、ぶるぶると震えていた。
そして、その切っ先を向けられていたのは──タクトだった。
「なんだか弱そうな構えだな。昼間の威勢はどうした」
「気配を感じなかった……どうやったんです? 匂いもなかったし、音もしなかったですよ」
「オレ、気配とか消すの得意じゃん? そんなもん朝飯前だよ」
「……」
「冗談だよ。こっちは風下だ」
「……」
アズマは不満げに、ぷいっと正面に首をもどした。
「で、ここで周りを焚き火に囲んで、何やってんの。悪魔召還? えっちなサキュバスをお願いします」
タクトはアズマの正面に座り込んだ。
その無遠慮さに、アズマはわずかに眉をひそめたが、追い払うそぶりはなかった。
「……僕は暗闇とか、近付いてくる足音とかが苦手だって、話しましたよね。だからこうして夜になると、人気のない河原に来て、火を起こしてるわけです」
「……火を起こしたあと、どうするわけ?」
「こう……こうやって、刀を抱いて、丸くなってまどろむんです」
アズマはじっさいに、膝や肩まで丸め込むように、刀にしがみつくようにして座って、首をうつむかせてみせた。
「その姿勢で眠れんの? エコノミークラス症候群になりそう」
「眠れると思います? 夢くらいは見れますけどね」
「難儀な性質だな。どうして、そんな風になっちまったのさ」
「……僕は、二年前の記憶がない、と言いましたけど、ひとつだけ覚えてることがあるんです」
「それは?」
タクトはアズマの先の言葉を促しながら、左手に持っていた羊羹を、鳥が大きな魚を飲み込むときにやるように、真上にあおりながら飲み干した。
甘味処のたけやぶやで、おみやげとして渡されていた菓子だろう。
「暗い一室でした。光なんて差したことのない、何もない所。木の格子窓が一つだけありましたが、光は入ってこず、そこからは、じめついた空気しか出入りしません……カビ臭くて、獣臭くて……そこらに糞尿も垂れ流しでした。ほかには壁しかない、牢のような場所です。そこで、兄弟のように似た顔立ちの子が……いえ、たぶん兄弟なんだと思います。
その子たちと、その部屋にギュウギュウ詰めに押し込まれてました。おそらく何年も、僕はそこで暮らしてました」
「……」
「だけど、部屋は少しずつ、広くなっていきました。足音が近付くと、そのたびに、兄弟が格子の向こうに連れ出されたんです。そのあとは必ず、遠くから悲鳴が……兄弟の悲鳴が鳴り響くんです。
僕たちは怯えました。足音がするたびに、僕たちは縮こまって……何かの隙をついて、ある時、逃げ出したんですけど……こうして生き延びたのは、僕だけのようです」
そこでアズマは自分の身体を抱き寄せた。
「夜が来るたびに、いえ、暗い場所へ足を踏み入れるたびに、あの日のことが蘇る。足音が近付いてくる気がする。僕を殺しにやってきてる気がする。それに、僕は抗えない気がする──
だから僕は、闇と足音が近付けないよう、上下を白い着物で固めてるんです。白は、真昼の太陽にいちばん近い色をしてますからね。気休めにしかなってませんけど。
こうして薪に囲まれてないと、仮眠も取れないんですよ」
「…………」
タクトは何も答えなかったが、その瞳はわずかに、驚愕で見開かれていた。
「いくらやっても慣れないですけど……暗いところから聞こえる人の吐息とか、足音とか……そういう所よりはマシなんです……暗い場所からは、誰が何をしてきても、わからないでしょ? 物音がするだけで心臓が高鳴るんですよ」
「暗いところにいる人間が、怖い、ね……お前、相当いじめられてきたんだな。まあ、事情はわかったわ、オレもう行くからな」
タクトは、アズマを慰めにきたのではない。
寄り添うためでも、アドバイスを与えるためでも、共に暗い顔になって悲嘆するためでもない。
知ることは力になる。
端的ではあったが、アズマがどのような経緯をたどって江戸に流れてきたか、タクトは思った以上に聞くことができた気がしていた。
──悲しんでいても、誰も力は貸してくれやしない。
──思いつめても、考えを変えない限り、活路が見いだされることはない。
「その夜を作った奴をぶっ殺せば、お前はよく眠れるようになるだろうさ」
ほとんど捨てゼリフのように、目下のアズマにそう呟くと、タクトはさっと立ち上がり、ひとり背中を丸めるアズマから離れ、河原を後にした。
「闇に呪われた男、か──」
遠く、四つの焚き火に照らされるアズマに、わずかな一瞥をしたあと、タクトは再び歩き出した。
空からは太陽が完全に立ち去り、代わりに月が見え始めていた。