「かわいい士門や……あれをご覧なさい」
よく晴れた春の朝、『美しい母』が、白リムジンの窓から透ける、スクランブル交差点に並ぶ、マスクをはめた人々を指差しながら語った。
彼らは申し合わせるように青信号を待って、ワラワラと歩き出し始めたところだった。
「あれらは全部、下等な人種。勉強しないと、ああなるのよ。そして、あれらが私たちの生活を維持しているの。
あれらは、少しでも仕事をやめれば、すぐさま飢えて死んでしまう、調教済みの人形。あれらは死ぬまで、真理を見ても変わらず、不条理を聞いても動かず、不義理を働かれても従い続け、戦うも逃げるも選ばず、そして何も果たさず死んでいく。支配されるためだけに存在する、ぶざまな連中よ」
『美しい母』の色々おかしな物言いに、子供の士門は疑いもなく大きくうなずいていく。
だが士門が評する『美しい母』は、この時、頬がこけ、化粧で隠しているが、顔も黄土色に染まっていた。
だからこそ士門は、この頃の母の言葉を、強く心に刻みつけたのである。
「あなたは、あれらになってはダメ。医学だけではだめ。医学はしょせん政治にも経済にも翻弄されている。政治をおこなう連中は、国益でも正義でもなく、カネで動いている。
国内の経済界、カルトの統一教会や創価学会、アメリカや中国からの脅迫と甘い蜜……。
それらはカネという形で、政治家を支配し、そして世の中を支配する。
だけどそれは日本だけの話ではなく、世界でおこなわれていること。
世界を制しているのは医学でも政治でもなく、カネ。多くのカネを握るものは政治も経済も握る。カネへの感覚を身につけなければ、いくら医学を極めようと、カネを持つ連中に支配されるだけ。あなたは医学だけでなく、カネの動きを知るべきなの」
「はい、ママ……」
「……」
士門は長い瞑想の末、ゆっくりと目を見開いた。
未来に生きていた時には、やりたいとも思わなかった瞑想だが、この時代に飛んできてみると、それは習慣になっていた。
録画もなく録音もなく、未来を証明するものといえば、この一枚の写真と、形見の腕時計と──記憶ぐらい(未来から持ってこれたパソコンの中には、母の写真がいくつかあるが、電力に限りがあるので、この方法はあまり使わない)。
少しでも過去に近づくため、士門は心を落ち着け、ひたすら昔の細事に思いを巡らせるのである。
「ママ……私は過去より生き延び、あなたに永遠の命を与える。タイムパラドックスが何だと言うのだ。ママさえ生き延びれば、それで構わん」
士門は顔を上げると、すっと立ち上がった。
「お待ちください……士門は必ず150年を生き、未来へ参ります」