12.未来の母

「かわいい士門や……あれをご(らん)なさい」

 よく晴れた春の朝、『美しい母』が、白リムジンの窓から()ける、スクランブル交差点に並ぶ、マスクをはめた人々を指差しながら語った。

 彼らは申し合わせるように青信号を待って、ワラワラと歩き出し始めたところだった。

「あれらは全部、下等(かとう)な人種。勉強しないと、ああなるのよ。そして、あれらが私たちの生活を維持(いじ)しているの。

 あれらは、少しでも仕事をやめれば、すぐさま()えて死んでしまう、調教済(ちょうきょうず)みの人形。あれらは死ぬまで、真理を見ても変わらず、不条理(じょうり)を聞いても動かず、不義理を働かれても従い続け、戦うも逃げるも選ばず、そして何も果たさず死んでいく。支配されるためだけに存在する、ぶざまな連中よ」

『美しい母』の色々おかしな物言いに、子供の士門は(うたが)いもなく大きくうなずいていく。

 だが士門が(ひょう)する『美しい母』は、この時、(ほお)がこけ、化粧(けしょう)(かく)しているが、顔も黄土色(おうどいろ)()まっていた。

 だからこそ士門は、この頃の母の言葉を、強く心に(きざ)みつけたのである。

「あなたは、あれらになってはダメ。医学だけではだめ。医学はしょせん政治にも経済にも翻弄(ほんろう)されている。政治をおこなう連中は、国益(こくえき)でも正義でもなく、カネで動いている。

 国内の経済界、カルトの統一(とういつ)教会や創価(そうか)学会、アメリカや中国からの脅迫(きょうはく)と甘い(みつ)……。

 それらはカネという形で、政治家を支配し、そして世の中を支配する。

 だけどそれは日本だけの話ではなく、世界でおこなわれていること。

 世界を制しているのは医学でも政治でもなく、カネ。多くのカネを(にぎ)るものは政治も経済も握る。カネへの感覚を身につけなければ、いくら医学を極めようと、カネを持つ連中に支配されるだけ。あなたは医学だけでなく、カネの動きを知るべきなの」

「はい、ママ……」

「……」

 士門は長い瞑想(めいそう)の末、ゆっくりと目を見開いた。

 未来に生きていた時には、やりたいとも思わなかった瞑想だが、この時代に飛んできてみると、それは習慣(しゅうかん)になっていた。

 録画()もなく録音もなく、未来を証明(しょうめい)するものといえば、この一枚の写真と、形見の腕時計と──記憶ぐらい(未来から持ってこれたパソコンの中には、母の写真がいくつかあるが、電力に限りがあるので、この方法はあまり使わない)。

 少しでも過去(かこ)に近づくため、士門は心を落ち着け、ひたすら昔の細事(さいじ)に思いを(めぐ)らせるのである。

「ママ……私は過去より生き()び、あなたに永遠の命を与える。タイムパラドックスが何だと言うのだ。ママさえ生き延びれば、それで構わん」

 士門は顔を上げると、すっと立ち上がった。

「お待ちください……士門は必ず150年を生き、未来へ(まい)ります」

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