15.呪われた男

 日の(しず)む少し前、遠くから、(かね)の音が時を()げていた。

「……」

 ひとり、河原(かわら)にしゃがみこんでいたアズマは、自らを四方から囲う(たきぎ)に、宿でもらった提灯(ちょうちん)の油を、少しずつこぼしていた。

 それから、(わき)に置いていた、赤熱(せきねつ)()ぜる薪をつかむと、それぞれ残りの三方の薪にもまた、その火を移していく。

 それはもはや、何かの儀式でも始めている風にしか見えないからだろう、そのさまを、河原に住む、ぼろを着た人々がひそひそと小声で話しながら見守っていた。

「よし……」

 アズマはそう(つぶや)くと、(さや)におさめた刀を抱えて、火のついた四つの薪の真ん中にしゃがみこんだ。

 そうして、()れに(かたむ)く夕日を、名残(なごり)()しげに、引き()めたそうに(なが)めたまま、アズマは来たる夜を待ち受ける。

「よし、じゃないだろ」

 その時、背後から、聞き覚えのある声がかかった。

「!」

 アズマはとっさに、ボロボロの刀を抜き、そちらへ向けて構えた。

 だがその構えは、形こそ整ってはいたが、(りき)みすぎて、ぶるぶると震えていた。

 そして、その()(さき)を向けられていたのは──タクトだった。

「なんだか弱そうな構えだな。昼間の威勢(いせい)はどうした」

気配(けはい)を感じなかった……どうやったんです? (にお)いもなかったし、音もしなかったですよ」

「オレ、気配とか消すの得意じゃん? そんなもん朝飯前だよ」

「……」

冗談(じょうだん)だよ。こっちは風下(かざしも)だ」

「……」

 アズマは不満げに、ぷいっと正面に首をもどした。

「で、ここで周りを()き火に囲んで、何やってんの。悪魔召還(しょうかん)? えっちなサキュバスをお願いします」

 タクトはアズマの正面に座り込んだ。

 その無遠慮(ぶえんりょ)さに、アズマはわずかに眉をひそめたが、追い払うそぶりはなかった。

「……僕は暗闇とか、近付いてくる足音とかが苦手だって、話しましたよね。だからこうして夜になると、人気(ひとけ)のない河原(かわら)に来て、火を起こしてるわけです」

「……火を起こしたあと、どうするわけ?」

「こう……こうやって、刀を抱いて、丸くなってまどろむんです」

 アズマはじっさいに、膝や肩まで丸め込むように、刀にしがみつくようにして座って、首をうつむかせてみせた。

「その姿勢で眠れんの? エコノミークラス症候群になりそう」

「眠れると思います? 夢くらいは見れますけどね」

難儀(なんぎ)な性質だな。どうして、そんな(ふう)になっちまったのさ」

「……僕は、二年前の記憶がない、と言いましたけど、ひとつだけ覚えてることがあるんです」

「それは?」

 タクトはアズマの先の言葉を促しながら、左手に持っていた羊羹(ようかん)を、鳥が大きな魚を飲み込むときにやるように、真上にあおりながら飲み干した。

 甘味処(かんみどころ)のたけやぶやで、おみやげとして渡されていた菓子だろう。

「暗い一室でした。光なんて差したことのない、何もない所。木の格子窓(こうしまど)が一つだけありましたが、光は入ってこず、そこからは、じめついた空気しか出入りしません……カビ(くさ)くて、(けもの)臭くて……そこらに糞尿(ふんにょう)()れ流しでした。ほかには(かべ)しかない、(ろう)のような場所です。そこで、兄弟のように似た顔立ちの子が……いえ、たぶん兄弟なんだと思います。

 その子たちと、その部屋にギュウギュウ()めに押し込まれてました。おそらく何年も、僕はそこで()らしてました」

「……」

「だけど、部屋は少しずつ、広くなっていきました。足音が近付くと、そのたびに、兄弟が格子の向こうに連れ出されたんです。そのあとは必ず、遠くから悲鳴(ひめい)が……兄弟の悲鳴が鳴り響くんです。

 僕たちは(おび)えました。足音がするたびに、僕たちは(ちぢ)こまって……何かの(すき)をついて、ある時、逃げ出したんですけど……こうして生き()びたのは、僕だけのようです」

 そこでアズマは自分の身体を()き寄せた。

「夜が来るたびに、いえ、暗い場所へ足を踏み入れるたびに、あの日のことが(よみがえ)る。足音が近付いてくる気がする。僕を殺しにやってきてる気がする。それに、僕は抗えない気がする──

 だから僕は、(やみ)と足音が近付けないよう、上下を白い着物で固めてるんです。白は、真昼の太陽にいちばん近い色をしてますからね。気休めにしかなってませんけど。

 こうして(たきぎ)に囲まれてないと、仮眠(かみん)も取れないんですよ」

「…………」

 タクトは何も答えなかったが、その瞳はわずかに、驚愕で見開かれていた。

「いくらやっても()れないですけど……暗いところから聞こえる人の吐息(といき)とか、足音とか……そういう所よりはマシなんです……暗い場所からは、誰が何をしてきても、わからないでしょ? 物音がするだけで心臓(しんぞう)が高鳴るんですよ」

「暗いところにいる人間が、怖い、ね……お前、相当いじめられてきたんだな。まあ、事情はわかったわ、オレもう行くからな」

 タクトは、アズマを慰めにきたのではない。

 寄り添うためでも、アドバイスを与えるためでも、共に暗い顔になって悲嘆するためでもない。

 知ることは力になる。

 端的ではあったが、アズマがどのような経緯をたどって江戸に流れてきたか、タクトは思った以上に聞くことができた気がしていた。

 ──悲しんでいても、誰も力は貸してくれやしない。

 ──思いつめても、考えを変えない限り、活路が見いだされることはない。

「その夜を作った奴をぶっ殺せば、お前はよく眠れるようになるだろうさ」

 ほとんど捨てゼリフのように、目下のアズマにそう呟くと、タクトはさっと立ち上がり、ひとり背中を丸めるアズマから(はな)れ、河原を後にした。

(やみ)(のろ)われた男、か──」

 遠く、四つの()き火に照らされるアズマに、わずかな一瞥(いちべつ)をしたあと、タクトは再び歩き出した。

 空からは太陽が完全に立ち去り、代わりに月が見え始めていた。

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