17.攘夷(じょうい)志士(しし)

 京豆腐(どうふ)店『みなもとや』からの帰りぎわ。

「まあ、何とか(しょく)は見つかりましたね」

「つっても初日だから、ほとんど挨拶(あいさつ)回りで終わったけどな。しかも、まだ行けてない得意(とくい)先がある」

「でも、僕は安心しましたよ」

 アズマがなぜか胸をなで下ろしていた。

 京豆腐屋『みなもとや』では、タクトとアズマは客間に通され、いくつかの質問を受けたが、それはいずれも、素性(すじょう)を確かめる意味合いの濃いものだった。

 どこの生まれで、父は誰で、母は誰で、なぜ江戸へ来て、棒手振を経験したことはあるか、という物だったが、タクトはそれらにつらつらと答えていったのである。

「あなたの出自(しゅつじ)、初めて僕も聞きましたけど……僕が思ってる出自とぜんぜん違ったな。なんか、海の向こうに住んでるとばかり思ってました」

「まあ、でっちあげだしな」

「え」

「前に、オレの体の匂いだけで、オレがここらの人間じゃない、つまりサムライではないって見抜いてたのに、そのへんはわからないのか。

 オレもお前同様、戸籍(こせき)のない人間なんだぜ」

「えええ……今の(うそ)がバレたら、極刑モノですよ、あなたは」

「仕方ないだろ、オレだって、好きでこんな胡散臭(うさんくさ)い人間をやってるわけじゃないんだ」

「胡散臭いって自覚はあるんですね。で……本当のところ、あなたは何者なんですか? 僕にくらいは教えてくださいよ」

 アズマはどうせならと、率直(そっちょく)な質問をタクトにぶつけてみた。

 よくよく思えば、アズマはタクトの事をよく知らない。

 どこから来たのか、何者なのか、なぜ世間を歩き回っているのか……。

「オレは未来から来た。別に来たくて来たわけじゃなく、何だか知らないがここにいたんだ」

 そこでタクトは、耳にぶら下がるティーバッグに指をさす。

「で、この耳のやつは、未来でよく飲まれている嗜好(しこう)品で……おい、信じてないな?」

「ええ、信じてませんよ。そんなこと言うなら、この先、何が起こるか言ってみて下さいよ、ここ一年に起こる出来事でいいですから」

「未来がどう改変されようが関係ない、教えてやるよ……と言いたいんだが、さすがにオレが生まれなくなるかもしれない可能性は産みたくない……つっても今の時点で、オレの些細(ささい)な行動で、バタフライ・エフェクトが起きてるかもしれないんだけどな」

「ホラ、言えないじゃないですか」

「ウソじゃないっての……」

「はいはい未来人、未来人。じゃあ、未来に戻るために貯蓄(ちょちく)をしなきゃですね。そんなに貧乏(びんぼう)だと、明日という未来さえ(おが)めませんよ」

「お前の言う通りだ。でも、オレの未来につなげるための、食いぶちを手にいれたってのは、良いことだと思うだろ?」

「ですね」

「ただなあ……豆腐(とうふ)屋からは、朝早くに出勤しろって言われたぞ。オレ、夜型人間なんだけど……朝弱いんだけど。もう少し遅くならないか? あと、休みは一年で(ぼん)の2日間だけ、とか言われたぞ。1年で休日が2日とか、ブラックすぎない?」

「……タクトさんなら、何とかなりますよ」

「ここ、労働組合とかないわけ?」

 タクトがウダウダと文句を()れていると、だった。

「おい、お前!」

 いきなりアズマ達の横から、怒鳴(どな)り声がぶつけられてきた。

 見るとそこには、十人以上におよぶ、ものものしい男たちが立っていた。

 その服装はというと、羽織(はおり)(はかま)ではあるが、羽織のかわりに女物の長襦袢(ながじゅばん)(そで)を通しているものもあり、刀を三本差すものもあったが……何をもってものものしいと評したかと言われれば、その人相(にんそう)にあった。

 アズマもまた、その嗅覚(きゅうかく)で、すぐに気付いていた。

 この目の前の連中は──本物の人斬(ひとき)りだと。

 男たちの刀の(さや)隙間(すきま)から、おびただしいほどの、血の(にお)いがしたのである。

「途中から聞いていたが……われわれが日本のために血を流しているさなかに、なんと軟弱なことで泣き言を言っておるか!」

 一人のヒゲ男がタクトの胸倉(むなぐら)をいきなりつかんで、アゴヒゲをこすりあわせそうなほどの至近距離から(すご)んできた。

 口臭(こうしゅう)もツバも至近距離から浴びせられる中、タクトは涼しい顔をする……のかと思えば、(おび)えた顔色でブルブル(ふる)えていた。

「ふぁ……あわわわわ、す、すいませんんんんん」

「すいません、ではない! 我々が命を()している最中に、耳の(くさ)りそうな腑抜(ふぬ)け言葉! 二、三発(なぐ)らせろ! そして情けない言葉が心から出てくるたびに、この日の(いた)みを思い出すんだな!」

「ヒエエエエ……ご勘弁(かんべん)をーあ、アワワワワ、ウフフフ」

 タクトは苦笑いに泣き顔を浮かべながら、謝罪(しゃざい)を並べるが、男の(いか)りは止まらないようだった。

 とはいえ、アズマは気付いていた。

 タクトの(こわ)がり方が、どこまでもウソ(くさ)かったことに。

 ──この人、絶対に何か考えてるな。

 だからアズマは(だま)ったまま、なりゆきを見つめるだけに(とど)めた。

勘弁(かんべん)ならん、お前の鼻の骨をたたき折ってやる、覚悟(かくご)せよ!」

「まあ待て、国重」

 顔を真っ赤にするヒゲ男『国重』の肩を、うしろから軽くとどめる人物が現れた。

 その男もやはり、あまり綺麗(きれい)とは言えない、無精(ぶしょう)ヒゲの……そして何よりも、鼻毛がだらしなく()びた青年だった(この集団は全員、二十代のようではあったが、いささか汚い身なりのせいで、ぱっと見た感じでは四十代にしか見えなかった)。

「あ、朝田さん……」

 国重はハッとした顔で朝田を見た。

「こんな目立つところで手なんぞ挙げるな。俺達こそ、やらねばならんことがあるだろうが」

「は、はい……」

「お前もお前だ、往来(おうらい)でつまらん事をぬかすな。目(ざわ)りな上に耳障りだ、あっちへ行っておれ」

「はーい」

 タクトは片目をつぶり、かわいく舌をのぞけさせたかと思うと、ものすごい速度でその場を走り出していった。

「タ、タクトさん、待って」

 アズマもまた、脱兎(だっと)と化したタクトの背を追いかけて、その場を後にした。

 そうして必死で走り出したが、浪士(ろうし)たちが追いすがる様子はなかった。

 だがタクトはそういうのも振り切るように、ひたすら前だけを向いて疾走(しっそう)していた。

「ま、待ってってば、タクトさん!」

 アズマがもう一度呼び止めると、そこでやっとタクトは止まった。

 そこは、どことも知れぬ長屋通りだった。

「はあ、はあ……逃げ切りましたね」

「ああ」

「でもタクトさん、何でケンカに応じなかったんですか? ひどい言われようだったじゃないですか」

「あんな町のど真ん中で(さわ)ぎなんか起こして、与力(よりき)同心(どうしん)に見つかってみろ。オレとお前の戸籍(こせき)までほじくりだされるぞ。そうなれば、サムライを詐称(さしょう)してるオレたちは(はりつけ)だ」

 なぜだかタクトは不敵に笑った。

(ちなみに与力と同心とは、この時代の警察のようなものだ)

「タクトさん……さっきの話の続きになりますけど、せめて、サムライのふりをする理由だけでも教えてもらえませんか」

「? 刀が持てるから」

 タクトのほうは、なぜそんな事をたずねるのかわからない、と言った顔で答えた。

「え? そんな理由で?」

「大した理由だよ。こんな時代に落っことされたら、元いた時代に戻る、なんて期待のしようもない。

 だったら、オレの見れなかったこの時代を見て、聞いて、感じて、楽しんで、人生を突っ切るべきじゃないのか? 辛気臭(しんきくさ)い顔をしていたところで解決するなら、いくらでもそうしてやるが、そんな約束は誰もしちゃいない。そもそも暗い顔をしてると、何よりもオレがつまらん。

 思い出の作り方って知ってるか? それを作るには、机にかじりついていても、いつもと同じ仕事を繰り返していても、それは永遠に思い出になりはしない。それを横で見ている他人の思い出にはなれるがね……そういうのは、オレに子供なり部下なりができてからで良い。

 思い出ってのは、人と何かやってないと、産まれないものなんだ。どんな偉業であっても、1人だけでやり遂げてみても、じつは大した思い出にならないのさ。いちおう記憶には残るけどな。

 だからオレは、できるかぎり人のことに首を突っ込んで、思いついたことに全力を(かたむ)けるのさ。できるなら、死ぬまでこうありたいと思ってるね」

 タクトは真面目(まじめ)な顔つきでそう告げた……かと思ったが、すぐにひょっとこみたいな変顔をした。

「なんてな」

 そう言ってタクトは、また走り出した。

 今度はとりあえず前に走るのではなく、旅籠(はたご)のえながやに向かって。

「ちょっと、タクトさん、感動しかけてたのに……ちょっと、タクトさーん!」

 アズマはまた、走らされることになった。

 そんな二人を見つめる視線が、長屋の(かげ)にあった。

 その視線の主は、アズマと同じ顔の男──寺山士門。

 だがその視線は、すぐさまアズマ達から離され、先ほど往来のほうで出くわしていた、浪士のほうへ注がれた。

「亀井の奴から、CCE七十はえながやにいるというから、雑踏(ざっとう)にまぎれて見張っていたが……面白いものが見れたし、聞くことができた。CCE七十のやつは、私と同じ顔をしているくせに、戸籍を捏造(ねつぞう)していないということも。これは、利用できるな」

 そういうと、士門は朝田たちのほうへ向かって行った……。

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