4.センテナリアン

「士門先生……外に出られていたのですか?」

 白熱灯による、弱い光のたゆたう地下室で、亀井関規(せきのり)(たず)ねた。

 その一室の内装は、どこまでもシンプルだった。

 亀井が立つのは、せまい制御室で、その部屋自体には、ノート型パソコンが白いテーブルに置かれるのみ。

 ノートパソコンの前には二(じょう)以上におよぶ、ガラスの窓が張られ、横には鉄の扉が備わっていた(今、それは開け放されていたが)。

 その向こうには、かなりの広さの一室があけられていた。

 その一室の壁には、何かの薬が入ったビンが並んだ(たな)が置かれ、中央には、硬い鉄のベッドが横たわり、その上には重機のようなアームが、その関節を、あたかも水を泳ぐヘビのようにくねらせたまま固まっていた。

 手術台と、手術用マニピュレータである。

 その隣に、亀井が先生と呼ぶ男が、立っていた。

「2日に一度はこの地下から出て日を浴びねばな。太陽光によるセロトニン分泌をおこたれば、精神病につながる。北欧では日射量が少ないために、鬱病を起こしやすいそうだ」

 男は弁明(べんめい)しつつ、亀井へ振り向く。

 その顔は──アズマとどこまでも似通っていた。

 寺山士門。

 それが、アズマ顔の男の名だった。

 つまり、二年前、アズマを川で追い込んでいた、あの『老人だった』男である。

「脳の移植より二年が経ちましたが……指などの麻痺(まひ)はございませんでしょうか」

「お前の技術は、さすがだ。第一の弟子よ」

「このような品をお持ちでしたら」

 亀井はほんのわずかに、マニピュレータを眺めてから、士門になおり、続ける。

「もっと世間に売り込めば良いものを……士門先生の名は、日本中に響き渡るでしょうに」

「この力は私のみに許された特権だ。他の連中なんぞに長寿(ちょうじゅ)はやらん」

「その未来とやらの技術、もっと活用なさっては? オランダにもアメリカにも、そのような文物(ぶんぶつ)はないでしょう。活用なさり、日本のために用いれば、必ず異国の上を行くことができます」

「ここ最近の攘夷論(じょうろん)にほだされたか? そんなことをすれば目立つだろう? (かげ)や日なたから、私を狙う者も増えるというものだ。程よい所で消えて、別の場所で暮らすには、そういう物は求めんほうがいい──私は支配にも占領にも興味はない。静かに暮らしたいだけだよ」

 士門は手術室から出ると、亀井の右にたたずむ、『立入無用』と書かれた、手術室の扉とまったく同じ形の鉄扉(てっぴ)一瞥(いちべつ)した。

「これは第一歩にすぎん。私が望むのは長寿者でも百寿者(センテナリアン)でもなく、永遠の命それのみ。こうして若い肉体は手に入れたが、いくら脳以外を改めようと、ここに入っている脳は75歳の束縛(そくばく)を受けたままだ」

 士門はそう言ってから、自らのこめかみを何回か指で叩いた。

「私の脳血管は、長年の飲食によって脂肪(しぼう)が付着するのみならず、呼吸によって酸化も起こっている。ニューロンにはアミロイドβも沈殿することで、少なからずアルツハイマー病にも(おか)されていよう。自らの血流によって、血管内皮細胞ははがれ、末端の脳血管は壊死(えし)し始め……あるいは知らぬ間に血栓(けっせん)でもできているだろう。

 この身体を、いくら若く取り(つくろ)おうとも、中身は75歳のまま、人間としての最大寿命120歳を超えることは、おそらくできまい。けっきょく私は、死神に回り道をさせただけで、確実に死は近付いているのだ……このままでは、な──まだ、あれの足取りはつかめんのか? あのクローン体……あれが我々の前から消えて、もう2年も()つのだぞ」

面目(めんぼく)ありません……まだ、何とも」

「何が何でも、奴は私に必要なのだ。奴を……CCE七十を探せ。ここは百万の人間が跋扈(ばっこ)する江戸だ。他の藩よりは、(もぐ)り込むには適している。人間どもは(そろ)っているんだからな。素性(すじょう)のわからん者が隠れるなら、顔の割れやすい田舎(いなか)とは考えにくい」

「CCE七十を捕らえたら……やはり殺さねばなりませんか?」

「当然だ。奴には永遠の命への秘密が詰まっている。何が何でも探すのだ」

「はい……」

「亀井、お前は外へ出て、奴に関する話を集めてこい。私はいつもの日課をしなくてはならん。外のことは、任せたぞ」

「は」

 亀井が返事をするのを待たず、士門はさっさと、先ほど目にしていた、手術室とは違うほうの鉄扉のほうへ向かった。

「……何を見ている、亀井。さっさと行け」

 士門は手で亀井を追い払うと、鉄扉を開け、すぐにそれを閉めて鍵をかけた。

 そこは、たかだか二畳間ほどの(せま)い部屋だったが、やはり白熱灯で照らされていた(地下室ではあるが、酸欠を防ぐための、酸素の流通する通風口も備わっていた)。

 そして、士門の目の前には、位牌(いはい)と、それの乗った小さな黒塗りの(たく)

 位牌の横には、セピア色にあせた、しわくちゃの写真と、女物の純金の腕時計。

 写真には、きれいに着飾った洋服姿の、30代後半ほどの女性が写っていた。

「ママ……もうすぐです」

 士門はぼそりと、女の写真に語りかけた。

「2021年11月13日……これが、あなたとの永遠の別れとなった日。私は必ずその時代へ戻り、あなたを死から()き放ちます。待っていて下さい──」

 士門は、立てかけられた写真を取ると、それにディープ・キスのような動きで舌を()わせた。

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