9.嚙み合った歯車

「あ、あの……ありがとうございました。お強い方達がいてくださって良かったです」

 おしづが安堵(あんど)の表情で、アズマとタクトに礼を述べた。

「そうかい? じゃあお姉さん、仕事が終わったら、オレとお茶してくれよ」

 さっそくタクトは口説(くど)きにかかる。

「タクトさん、あなたは何もしてなかったですよね。この四人をやっつけるのも僕しかやってませんでしたし」

 うしろのアズマが、あきれ加減(かげん)忠告(ちゅうこく)した。

「埋めたじゃん。疲れるんだぜ、穴を掘るの」

 タクトは自らが作り出した、肉のアートに目をやった。

 五本の肉柱は今、大雨が叩きつける通りに並ぶように、逆さまにそそり立っていた。

「お店の旦那(だんな)の清四郎が、あなたがたお二人に、ささやかですが心()くしを、と言っておりました……どうぞ、遠慮(えんりょ)なく、おくつろぎください」

 おしづが改めて、深々(ふかぶか)とおじぎをした。

 そのおしづの態度を受けて、この茶屋にいて一部始終を見ていた他の客達も、ことほぐように茶器をかかげて喝采を上げていた。

 悪事に及ぼうとしたサムライが、コテンパンに返り討ちにされて頭で逆立ちするのが、愉快でたまらないのだろう。

「それは(うれ)しいです。言葉に甘えさせてもらいます、タクトさんは異論なんて……ないみたいですね」

 アズマがしゃべりきる前に、タクトはさっさと座敷(ざしき)のほうに上がり込んでいた。

「酒とかあんの? 甘味処(かんみどころ)ってのは」

「それはありませんね……お茶とお団子(だんご)、あんみつにお汁粉(しるこ)なら」

 おしづが苦笑(くしょう)まじりに返す。

「いや、オレ飲めないんだけどね。酒とか嫌いだし」

「なら何で聞いたんですか」

 アズマが片目を細めた。

「……興味があっただけだ。オレのいたところじゃ、飲食できるところは軒並み酒も出てたから」

 タクトは自らが腰かける座敷(ざしき)の上へ、左耳に巻き付けていた紅茶ミニバッグをはずして置いた。

「それ、取れるんですね」

 アズマが、座敷に置かれる紅茶バッグを注視する。

「何だと思ってたんだよ。マアお前もご苦労だったな。好きに飲み食いしろ、ここのおごりだ」

「どういう育ちかたをしたら、そんなことが言えるツラの皮になるんですか?」

「ん? それって、オレにあこがれてるってことか?」

「はぁ……」

 アズマがため息をつく。

「お待たせしました、団子とお茶です」

 うしろからおしづが、お(ぼん)に茶菓子をともなった湯呑(ゆの)みをふたつ乗せて、戻ってきた。

「ありがとう、おしづちゃん。さあ食えアズマ。仲良く半分コ、なんて言うと思うなよ? やっぱり食い物ってのは、ケダモノみたいに、早いもの勝ちで(うば)い合うほうが燃えるよな」

「何ですかそれ……ゆっくり食べさせてくださいよ」

 そうしてアズマもまた、タクトの横の座敷に腰掛(こしか)けた。

「こうして菓子をつついてんだ。気になってること、聞いていいか?」

 アズマがあぐらの姿勢になったのを見計らってから、タクトがたずねる。

「あんた、記憶がないのに何でそんなに強いんだ? 身体が覚えてんのか?」

「僕もその理由が見つからなくて困ってるんですよ」

 アズマは一息にお茶をぐいっと飲み干した。

 それは、まだ煎れたてのお茶だから、ひたすら熱いはずのものだったが、アズマはそれを気にしている様子はなかった。

 タクトはそれを真似しようと、自らの横に置かれたお茶をあおろうとしたが、そもそも器が熱くて、持つことさえできなかった。

 けっきょくタクトは、お茶が冷めるまでアズマのことを知っていくほうへシフトする事に決めた。

「なら、整理してみよう。何かわかっていることはあるのか? 何でもいいから話してみろ。手がかりがあるかも」

「ほとんどないですけどね。

 老人に追いかけられて、川に飛び込んだこと。

 僕の鼻は、他の人と比べれば格段に利くらしいこと。

 剣を使うのがうまいらしいですね、タクトさんから見れば。

 あとは……思いつかないな」

「小澄アズマって名前もだろ? 本当に、手がかりらしいものがないな……鼻はどんだけ利くんだよ。さっき、金羽織の伊織さまのこと、匂いだけで特定してたろ。ハッタリじゃなかったんだな」

「ああいうのって、普通の人にはできないらしいですね。しばらくの間、人間はみんな、これくらいできるもんだと誤解してましたよ」

「比較するものがなければ、たしかにその結論になるよな」

「今度はタクトさんのことを教えてくださいよ」

「オレのこと? そんなもん知って、どうすんだよ」

「なんか謎めいてるんですよ、あなた。この国の人と、まったく身体の匂いが違いますから」

「そんなのもわかるのかよ」

「僕自身、言ってて信じられないんですが……ここにいる人たちと、根本的に、食べるものや飲むものが違うんでしょう?」

「牛やピーマン、ハンバーガーに赤色2号とか黄色4号とか、食ってきたせいかな」

「食べてきたもので、生き物は身体の匂いや味を構成します。わかりやすく言うと、川の水で育つアユなんかは、やっぱり肉から川の味がしますしね。ナメクジにお湯をかけたら、雨あがりの土と同じ匂いがするんですよ──だから、あなたはここの食べ物で育ってはいないんだ、と思ったわけです」

「怖いなお前」

「でしょ? あとついでに言うと……あなた、サムライじゃないでしょ」

「そんなのも匂いでわかんの……? あっ、さっきの伊織さまと同じで、刀に染み込んだ汗やら何やらの匂いがわかるのか? 人間とか斬ったことはないからな、オレも」

「いえ、あなたは刀の素振りとか、型の練習とかはやってるっぽいのは匂いでわかりました。

 僕が思ったのは、ここで産まれてないのに、サムライになれるのか? ってことです」

 アズマはそこで、にまりとほくそ笑んだ。

 つまりアズマが指摘しているのは、タクトは刀を差しているにもかかわらず、侍の身分ではない、ということだ。

「当たりだよ、当たり。はー、お前の言うとおりだよ」

 タクトは降参したように両手をあげた。

「なんかオレだけ、色々ほじくられてない? 深淵をのぞいても何も見えないが、深淵のほうはお前の全てを見ているのだ、とかに格言を変えてほしいな」

「すいませんね」

 アズマはそこでやっと、少年らしい屈託のない笑顔になった。

「おわびに、僕もひとつ秘密を言いますよ──僕もサムライとは言えないんです」

「そういうの、自分から言わないほうがいいぞ……でも何でだ? そんだけ刀を使うのがうまいのに。お前の記憶がないだけ、とかいう事もあり得るんじゃないか? じっさいはサムライマスターの子供とかって可能性も捨て切れないだろ?」

「サムライは、サムライの家の子どもだって証明できないとサムライを名乗れないし、刀も持てませんよ。でもサムライの身分はそれなりに便利だから使ってるだけです。身を守る方便にもなりますしね」

「おたがい、奉行所に泣きつくことはできそうにないな」

 タクトは、やっとそこで冷めたお茶をぐいっと飲みきった。

「何だか、雨が上がらないな。もうこのまま旅籠まで帰っちまうか、傘ないけど」

 タクトは座敷からうかがえる、けたたましい雨音とはじける雫をながめ、ちいさく嘆じた。

「仕方ないですね」

 アズマはそれを聞いて腰をあげた。

「別に、いつまでもいらしてもらって、大丈夫ですが」

 横で接客をしていたおしづが、少し寂しそうに助言した。

「今日は江戸に着いたばっかりだってのに、立て続けにケンカしたからな。横になりたいんだよね」

「わかりました……ではせめて、傘はお持ちください」

 おしづはそう言うと、手早くきびすを返し、二本の傘を持って戻ってきた。

「この店に来たお客様が、忘れられていった傘です。ずっと保管してるんですけど、誰も取りに来られないから、こうやって使うときがあるんです」

「いつの時代も、傘と約束は忘れられがちだ」

 タクトはおしづの持つ二本の傘を受け取ると、一本をアズマに渡した。

「返しにきてくださいね。それでウチの顧客になってもらいますから」

「うまい商売だね、おしづちゃん。この傘もそうやって使われたら本望だろうさ」

 タクトは言いながら、小皿に残った最後の串団子の取っ手をつまんで立ち上がった。

「任してください」

 おしづは笑うと、軒下に立って傘を開くアズマとタクトを見送りに出るべく、自らも傘を差してうしろについた。

 そして、三人が例の肉柱をよけて、通りに出てみると……こちらに向けて歩いてくる、傘をさした、ひとりの袴姿の男が見て取れた。

「なんだ、この裸の男どもは……」

 歩いてくる男は、けげんな顔をしながらフンドシ推進委員会を一瞥している。

 そんな男に強い反応を示したのは、おしづだった。

「か……亀井さん!?」

 雨の音に負けないほどの大きな声が、おしづの小さな体から絞られた。

「おしづ!?」

 男もまた、おしづの名前を叫んだが、こちらのほうが、いささか切実そうな声音だった。

「久しぶりに……会いに来たぞ」

 亀井は再会の喜びを言葉に込めながら、おしづへ歩み寄ろうとしたところで……その表情が一気にこわばった。

 その視線は、おしづの横にいる白袴の男──アズマのところで、止まっていたのである。

「? 僕のことをご存知で?」

 脳天気に首をかしげるアズマとは対照的に、亀井の顔はみるみる青ざめていた。

「ま、まさかこんな所で……やはり士門先生は正しかったのだ」

 亀井は少しの間、アズマを凝視(ぎょうし)していたが、その表情に固めたまま、すぐに背をひるがえし、水たまりの跳ね返りも気にせずに、ふたたび人だかりの中に(もぐ)っていった。

「あーあ、君の顔がきもいから、逃げてしまったよ」

 タクトが冷やかすが、その顔色はアズマ同様、釈然(しゃくぜん)としたふうではなかった。

「どうされたんでしょうか、亀井さま……」

 おしづまでが心配の句をもらす。

「いつもあんな感じで、人の顔を見たら逃げるのか?」

 タクトがたずねる。

「いえ……そんなことはありません。とても(かしこ)く、優しいお方なんです。私たち姉妹を育ててくださった、父のような方です」

「父、ですか……」

 アズマが、おしづの口にした単語を()り返した。

「ええ、故郷(こきょう)にいるときに、父母が労咳(ろうがい)(結核)になりまして……父は手遅れだったのですが、母も危ない、という時に、あの方に出会ったのです」

「亀井さん、ね……父というよりは、兄くらいの年齢(ねんれい)に見えましたけど」

「そうなんですけど……そのあたりは、えーと、その……」

 何かをはぐらかすように、おしづは口ごもった。

「なあ、おしづちゃん」

 アズマとおしづのやりとりを放って、タクトが亀井の消えた方を眺めながら口を開いた。

「あの亀井ってやつと話し合ってみたい。あんたと知り合いなんだろ? 段取(だんど)りをつけてもらえないか?」

「喜んで、と言いたいんですが……あの方と会ったのは、実は三ヶ月ぶりです。あの方の住んでらっしゃる所も、私は知らない有様(ありさま)なのです。いつも、あちらからしか知らせがないもので……」

「じゃあ、次にあの男に会えるのは3ヶ月後ぐらいってことか」

「何で三ヶ月後って決まってるんですか」

 アズマが食ってかかる。

「3ヶ月前に会ったんだろ? なら、次に来るのは3ヶ月後だろ」

「そういうもんですかね」

「そういうもんさ、知らんけど。なあ、アズマ……今ふと思ったんだけど、あれだけ距離が近かったら、さっきの亀井さんってやつの向かったところ、匂いで追跡できるんじゃないの?」

「無理ですね。僕らの立ってた場所が風上でしたもん」

「そうか……なら、亀井さんの匂いとかは残ってないか?」

「この水たまりの中に、間違いなく亀井さんの匂いはあるんでしょうけど……特定するのは難しいですね」

「仕方がないよな、こればっかりは。なら、次の出会いに期待するって作戦になるかな……」

「最低でも三ヶ月ですか……長いですね」

「別に3ヶ月でも1年でも、待つわけにはいかないってわけでもないだろ? 別に明日、アズマが爆発(ばくはつ)するわけでもないんだし。なら問題ないじゃんか。

 っていう訳だ、おしづちゃん。そんときで良いから、もしオレたちのいないときに亀井さんに会えば、あんたから亀井さんの家を聞き出しといてくれよ」

 いけしゃあしゃあと、タクトはおしづに提案(ていあん)した。

「その質問も、もうしました。でも、教えて下さらないのです」

「なら、おしづちゃんが会えたところで、聞き出せる保証はない、か……だったら、3ヶ月後のことに期待して、オレたちがここへ通うってのも手ではあるな。オレたちが聞けばどう出るか、試してみよう。もしもダメでも、次に会うときも大雨ってことは、そうそうないだろう。さすがに今度は匂いもわかるんじゃないかな」

 つぶやくタクトを、アズマが不安な(おも)もちで見るが、タクトはすぐにぱっと顔を青空へ上げた。

「やることは決まったな、アズマ。

 なんか気が軽くなったわ。旅籠まで帰るつもりだったけど、どっかで飯でも食おう。そんで夜更(よふ)かししながらコイバナしよーぜ」

「いま団子とお茶菓子食べたでしょ?」

「甘いものは別腹だよ。飯ならぜんぜん食えるぜ」

「それ、団子が胃袋じゃなくて肺とかに入ったんじゃないですか?」

 アズマが毒舌ぎみに茶化す。

「どっちかというと、今日は幸運だよ。お前の手がかりが得られたんだ。顔を見られて逃げられたってだけで、めでたいことだ。今日はそれを(いわ)って食事会としゃれこむべきじゃないか?」

「……それもそうですね」

 アズマは(こわ)ばらせていた肩から、力をぬいた。

 たしかに、急ぐ理由など何もない、と思ったからだ。

 これまで、アズマは()くように自分探しをしてきた。

 そうしなければ、どこかで自分の記憶が壊れたり、朽ちたり……そもそも大切な何かが無くなったりするかもしれない、と思ったからだった。

 が、タクトの身軽(みがる)な視点は、新しい考え方をアズマに与えたのである。

「だろ? 今日は飯を食いながらコイバナ大会だ」

「コイバナって言葉は初めて聞きましたが……ともかく、夜まで話すって意味ですよね。夜まで、ですか……」

「どうした? 都合(つごう)が悪いのか」

「いえ……特に問題はないです。夜の始まりくらいまでなら」

 アズマは謎めいた言葉を告げると、先に雨の中を歩き出した。

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