たとえば人工衛星はやぶさ。
あの太陽光パネルには、折り紙による畳み方がアイデアとして盛り込まれている。
アニメや漫画、洋画を見るとつねづね感じるのは、この源流についてだ。
良いか悪いか、善悪の話にするつもりはないが、日本のアニメ漫画は、怒るとパワーアップして問題を解決するエピソードが多いふうに思う。俺の理想の世界も、まさにそこを使ったわけだけど。
アメコミなどは見ないのでわからないが、少なくともアメリカの洋画ではこの危機を、知恵で乗り切る。敵にねじ伏せられて、叫んで問題解決をする映画は、見たことはない。彼らのほうは彼らのほうで、何かデカい力が爆発しているのを好む傾向にある。彼らはおおむね核兵器が好きだ。
日本のストーリーの立て方は、古来から続く大和魂の残り香に見えなくもない。多民族国家アメリカのほうは、叫んでも問題が解決しなかったから、あのような作風になるのだろう。
ただ日本のストーリーの立て方には、アイデアがなくとも激しい感情さえあれば戦いに勝てる、と思いたがっている、という数百年前から続く理念が見え隠れしているように思える。太平洋戦争のことを言っているのではない。たしかに気合があれば竹槍で飛行機が落とせると考えたし、三八式小銃がななつしかないのに1000人を東南アジアに派兵(そこへ到着するためには海を越えねばならぬ。船に乗らねばならぬが、その海はアメリカ軍の哨戒網の中。1000人到着するために、数千人が輸送中に魚雷の餌食になった)していたが、その無計画さ、その思考軽視はその時に始まったものではない。
実はこの生き方は、それ以前の西南戦争でも同じだった。ここらへんは、山本七平『日本はなぜ破れるのか 敗因21ヶ条』にあった記述だ。
アメリカに負ける前からそうだったのだから、遡れば、さらにその爪痕を見つけることができるだろう。